マガジンのカバー画像

考えたこと・思ったことをまとめたマガジン

132
毎日の中で考えたことをまとめたマガジン。「コンテンツ会議系マガジン」に含まれないnoteは、全てこのマガジンで読むことができます。他のマガジンとも被る時があります。
運営しているクリエイター

#毎日更新

やりたいことができるまで、目の前のことを全力で。

やりたいことがあるならそれを全力で。やりたいことがまだ見つからないなら、目の前のことを全力で。 人生はきっとそれさえ守っていれば、なんとかなるようにできている。 やりたいことを見つけるのは難しい。 しかも、一度やりたいことが見つかっても、それが本当にやりたいかわからなくなって、ゴールを見失うことだってある。 でもそんなときは、目の前のやるべきこと、そしてゴール探しに全力になればいい。 そしてもし幸運にもやりたいことがあるのなら、周りからの評価も失敗も気にせず、それ

ファンでいることは、世界を好きになること。

大抵の人は、ファンだ。 ファンの元の意味は「スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者」らしい。 しかし日常生活では、対象が人でなくても、何かがすっごく好きなのであればファンと呼んでいる気がする。タピオカのファンとか。 そして、ファンであることは楽しい。 娘のわたし、生徒のわたし、友達のわたしなど、いろいろなわたしがいる。 その中で、一番人生を楽しんでいるのは、ファンのわたしになっているときだと思う。 本当に好きなものと接するとき、今まで

10分粘りの馬鹿力

私は、粘るのが苦手だ。でも、粘りの力を実感して、ねばねば力を上げなければと思い始めた。 今までは、最後の10分で結果が変わることがあまりなかった。 たとえば、入試の前10分間死ぬ気で勉強しても、夏休みから半年間コツコツ頑張った人には勝てない。 文章もそう。締め切り前ギリギリになって慌てて書いたものよりも、何度も推敲して構成や見出しまで凝ったものの方が仕上がりに満足する。 もちろん、最後の10分でかけた山が当たって一問多く解けたり、最後の10分で最高の締めが思いついたり

加点方式で生きる。

世の中には、加点方式で生きている人と、減点方式で生きている人がいる。 今を0点として、100点を目指すのが前者。 私はこのタイプで、あれができるようになった、これができるようになったと、加点をして生きている。 一方で、目標を0点として、今をマイナスで捉えるのが後者だ。 完璧な状態から、あれができていない、これができていないと減点して今を分析する。 心理学的に、人はネガティブな情報に動かされるらしい。 たしかに「これもできた方がいいよ」よりも、「これができていない」

あっという間が、どうしても怖い。

集中すると、あっという間に時間が過ぎる。 それが、少し怖い。 数時間の話なら、構わない。 集中して効率よく作業が終わるなら、その方がいいだろう。 でも、それが数年になったら、数十年になったらと想像し、どうしても足踏みをしてしまうのだ。 小さい頃、母親がよく言っていた。 「ここにイチゴを置かれても気づかないくらい、目の前の問題に集中しなさい。」 今の私は、イチゴに気がつけないのが怖いのだ。 それは、老後になって無我夢中に働いていた自分を振り返り、大切なものを見失

3万7千人の人生が交差した夜。

言葉の限界と、言葉の力を同時に思い知った週末だった。 土曜日に、君の名はの主題歌「前前前世」などで有名なRADWIMPSのライブに行ったのだ。 RADのライブ会場である海浜幕張のZOZOマリンスタジアムには、3万7千人が集まった。 開演時間ギリギリに会場入りした私は、びっくりした。 目の前に広がる、人、人、人。 それだけの人数が、彼らの音楽を聞くために集まったのだ。 ライブ中、一人きりな私と、その場を俯瞰する私が、交互にやって来る。 ステージ上の洋次郎に釘付けに

並行読みの脂が乗ったおいしい時期。

最近本を同時読みしていた。 寝る前に読む本、電車で移動しているときに読む本、リビングで読む本など、特に決めていたわけではないけれど、そのときその場にある本を開いていたらどんどん読みかけが増えていった。 そして、それがそろそろ終わりそうなのだ。 昨日一冊読み終わり、他の三、四冊ももう少し。 同時読みが、こんなしあわせな期間を生むとは思わなかった。 本の結論、一番おいしいところ。いろんな問題が解決したり、作者の思いが乗ったところ。それだけを読み続けられるのだから。 何

小学生の頃の夏休みに、少し戻りたくなった。

夏休みのことを色々考えていて、私が小学生の頃どうだったかなと思い返してみた。 うちは共働きだったので、妹と二人で留守番していたと思う。 リビングだと電気代がもったいないから、小さめの両親の寝室にクーラーをかけて、宿題をしたりビデオを見て、日中過ごしていたはず。 思うとか、はずとかをつけてしまうくらい、曖昧な記憶の中に、二つ鮮明な記憶がある。 一つ目は、妹のチャレンジの付録でついてきた、おもちゃを作ったこと。正しくは、作るのに失敗したこと。 妹は小学一年生で、私は小学

先延ばしは、「いい感じ」で防げるかも。

やろうと思ったことを、ついつい後回しにしてしまう。人類の永遠の悩みだ。 しかし今日、今まで聞いたこともない解決法に出会った。 労力を惜しむのは、生物として自然なことだけれど、人間としては不都合な場面がたくさんある。 そこで、人間ならではの想像力を生かして、後回し問題を解決しようというのだ。 「コーチングが人を活かす」で、著者の鈴木さんは後回しの原因についてこう話す。 行動を習慣化させるのは、並大抵のことではありません。固く誓ったはずなのに、行動を起こす直前になると「

あとでまとめてやろうの、あとではこない。

同じような毎日とは言いつつも、一応緩急がある日々を送っている。 土日がくれば、このプロジェクトさえ終われば、何歳になれば。 そんな風に、ある程度の区切りをつけて、やることやらないことの判断をする。 でも、その緩急のせいで、後回しが特技になってきた。 特にアメリカの大学では、自分で一日の時間配分を決められるから、自分のための読書やコピーの練習がいくらでもできるように錯覚してしまう。 だから、これは大学に戻ってからまとめてやればいいや、夏休みが終わったら本格的に頑張ろう

気持ちから逃れるには、人の目を借りる。

どうしても悲しいときや、どうしても怒りが収まらないとき。 いくら冷静になろうと思っても、うまくいかない。 そんな風に気持ちに溺れるのは、自分に意識が集中しすぎているからだと気が付いた。 正しくは、自分に意識が集中し過ぎていたと、後から思った。 今の、自分。 それが全てになっていて、その今が全体で見たらどんな未来に繋がるのか、自分は社会全体でどんな場所にいるのかが、わからなくなってしまうのだ。 もちろん、未来や過去を見にいったり、自分の目以外で世界を見ることなんて、

わかってるけどは、わかってない。

あなたも忙しいのはわかってるけど。 わたしのためなのはわかってるけど。 やらなきゃいけないのはわかってるけど。 「わかってるけど」のあとに続くのは、自分の言い分だ。 最近のわたしは、この「わかってるけど」をよく使っていた。 でも、わたしの「わかっているけど」は自分を守るための建前でしかなかった。 わかっているけどというのは、あなたはこう言うんでしょう?と反論を先回りできる、便利な言葉なのだ。 だから、自分の言い分を通すための飾りでしかなく、本当にわかっているかは

心を元気にたもつこと。

心は、心持ちでなんとかできない。 つまり、元気がない時に、元気になろうと思うだけでは、元気になれない。 そんな時は、行動や環境を変えて、心を癒すしかない。 でも、どんなに行動や環境を工夫しても、元気じゃない心を一気に回復できることはほどんどない。 好きなテレビ番組を見ても、好きな曲を聴いても、友達とか好きな人に会っても、そもそも好きを感じる心が疲れているから、期待するほどの効果がないのだ。 大切なものに囲まれてしばらく過ごすか、時間が経って忘れるか、ゆっくり頭に心が

素直って何いいいい

「素直が一番大切。」 新社会人1年目の心得として5歳さんが語るそれは、今日上司に言われたこととも、去年大学を卒業して社会人をやっている大学の先輩にされたアドバイスとも、全く同じだった。 これを言われるってことは、今の私は素直じゃない部分が目立つのだろう。 自分では素直さが売りだと思っていたから、それが足りないと言われると、堪えるものがある。 そんな、私は素直なはずなのになんて思い込みも、5歳さんが言う「プライド」なのかもしれない。 一度殻に閉じこもると、全部自分を傷