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西田幾多郎 「一般者の自覚的体系」現代的改定+補足(作業遂行中)

このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

    • 西田幾多郎 小論「私の判断的一般者といふもの」補足

       この小論は、西田幾多郎が昭和4年3月に東大哲学科談話において「カントとフッサール」という題で講演したものを改題して、同年5月、『哲学雑誌』(第五〇七号)に掲載したものに、補足を付けたものです。  以下に小坂国継先生の「西田哲学の研究 場所の論理の生成と構造」p127から文章を抜粋し、この小論をあえて抜粋した理由を示します。 『…以上が「私の判断的一般者といふもの」の梗概である。そこでは、「場所の論理」の生成期の西田の思想が簡潔かつ明晰に叙述されている。それゆえに、それは

      • 場所の作業を通じて感じた事

        私は大学等で哲学を学んだこともなく、西田以外の哲学をまともに読んだこともない不勉強な人間であるため、あまり分かったようなことを述べる立場にある人間ではありません。しかし今までの作業から少し思うところもあるため、この文章をしたためています。 西田哲学とは何ぞや、どういった哲学かと疑問に思う方も多いと思います。その疑問に的確に応じられると思われる文章が小坂国継先生の「西田哲学の研究 場所の論理の生成と構造」の序章において述べられているため、そこを抜粋します。 『いま仮に、西田

        • 西田幾多郎 「働くものから見るものへ」後編 現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          芸術と道徳の補足、改訂作業を終えて

           旧版、西田幾多郎全集3巻に収録されている「芸術と道徳」の改訂、補足作業がとりあえず終了しました。これから芸術と道徳を読まれる方に向けて何か参考になることがあるかもと思い、この文章を書いています。  「芸術と道徳」は、西田が「自覚に於ける直観と反省」において到達した「意志」の形而上学を、「意識の問題」において洗練化した後、芸術と道徳に関する諸問題をその立場からまとめ上げたものと言えると思います。ただ後記にはこう記されてあります。 “…著者自身序に言う如く「真とか実在とかの

          芸術と道徳の補足、改訂作業を終えて

          旧版『西田幾多郎全集』第四巻(「働くものから見るものへ」収録)後記   下村寅太郎著

          このnoteは、旧版『西田幾多郎全集』第四巻(「働くものから見るものへ」収録)の後記を抜き出したものです。後記を著した下村寅太郎氏は没後七十年を経過していないため著作権侵害と判断される可能性があり、その場合すぐ削除することを宣言します。 「働くものから見るものへ」について  『働くものから見るものへ』は前著『芸術と道徳』(大正十二年七月刊行)に次いで、大正十二年から昭和二年に亙る五年間の労作の集録である。始め『哲学研究』『思想』および『講座』(当時大村書店より刊行されてゐ

          旧版『西田幾多郎全集』第四巻(「働くものから見るものへ」収録)後記   下村寅太郎著

          西田幾多郎 「働くものから見るものへ」前編 現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          西田幾多郎 「働くものから見るものへ」前編 現代的改定+補足

          西田幾多郎 『芸術と道徳』の中から「美と善」、「法と道徳」、「真と美」、「真と善」の現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          西田幾多郎 『芸術と道徳』の中から「美と善」、「法と道徳」、「真と美」、「真と善」の現代的改定+補足

          意識の問題の改訂、補足作業を終えて

           旧版、西田幾多郎全集3巻に収録されている「意識の問題」の改訂、補足作業がとりあえず終了しました。哲学的素養もなく、推敲作業中に誤読に気付くことも多い未熟な私ですが、これから意識の問題を読まれる方に向けて何か残せるものがあればと思い、このnoteを書いています。本当は「善の研究」や「自覚に於ける直観と反省」の作業終了時にこのようなnoteを書いておけばよかったのですが、今となっては後の祭りです。  意識の問題は、西田が「自覚に於ける直観と反省」において最終的に到着した『意志

          意識の問題の改訂、補足作業を終えて

          旧版『西田幾多郎全集』第三巻(「意識の問題」「芸術と道徳」収録)後記  下村寅太郎著

          このnoteは、旧版『西田幾多郎全集』第三巻(「意識の問題」「芸術と道徳」収録)の後記を抜き出したものです。後記を著した下村寅太郎氏は没後七十年を経過していないため著作権侵害と判断される可能性があり、その場合すぐ削除することを宣言します。 西田幾多郎全集 第三巻 後記 「意識の問題」と「芸術と道徳」について  大正六年(1917年)二月末、四カ年に亙る「悪戦苦闘のドキュメント」たる「自覚に於ける直観と反省」を完結した著者は、これにおいて到達した立場から、改めて意識に関する

          旧版『西田幾多郎全集』第三巻(「意識の問題」「芸術と道徳」収録)後記  下村寅太郎著

          西田幾多郎 「芸術と道徳」現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          西田幾多郎 「芸術と道徳」現代的改定+補足

          西田幾多郎 「意識の問題」現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          西田幾多郎 「意識の問題」現代的改定+補足

          西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」結論及び跋の現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」結論及び跋の現代的改定+補足

          西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」の現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」の現代的改定+補足

          西田幾多郎 「思索と体験」の現代的改定+補足

          このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜呑みにされず、必ず現本を読まれてください。誤読と思われる箇所があればご指摘いただけると助かります。また、没後70年を経過しているため著作権は失効していますが、同一性保持権に抵触すると判断される可能性があ

          西田幾多郎 「思索と体験」の現代的改定+補足

          西田幾多郎 「善の研究」の現代的改訂+補足

          ※このnoteは、私がこのような作業を始めて最初に制作したものであり、いさかか意にそぐわない内容になっている為、後に作業をやり直そうと思っています。次著、思索と体験以降はやり直さないつもりでいます。 このnoteは、西田幾多郎の著作を現代語的に書き換えることを意図したものです。書き換えを行う筆者は大学等で哲学を学んだことは無く、哲学的素養に関しては完全に素人です。読解の助力になることを願い書いたものですが、私の誤読が介入してる可能性があります。読まれる方は、このnoteを鵜

          西田幾多郎 「善の研究」の現代的改訂+補足