旧版『西田幾多郎全集』第三巻(「意識の問題」「芸術と道徳」収録)後記 下村寅太郎著
このnoteは、旧版『西田幾多郎全集』第三巻(「意識の問題」「芸術と道徳」収録)の後記を抜き出したものです。後記を著した下村寅太郎氏は没後七十年を経過していないため著作権侵害と判断される可能性があり、その場合すぐ削除することを宣言します。
西田幾多郎全集 第三巻 後記
「意識の問題」と「芸術と道徳」について
大正六年(1917年)二月末、四カ年に亙る「悪戦苦闘のドキュメント」たる「自覚に於ける直観と反省」を完結した著者は、これにおいて到達した立場から、改めて意識に関する根本問題を攻究した。大正六年末から大正八年夏に亙るその労作が「意識の問題」だ。著者はこれにおいて「精神科学の根本概念を明らかにする」ことを意図した。本来「精神の学」であった心理学は「近代心理学」として実験心理学となったが、しかしこれが「何処までも精神科学の基礎として、すべての深い問題を解決し得るや否やについては疑ひなきを得ない」こと、且つ「心理学は他の科学にもまして哲学的反省を要するではないかと思ふ」ことが、本書の動機になっている。著者にとって意識の問題は処女作「善の研究」以来の主導的関心であり、更にこの後、現象学に対する関心と共に永く著者の思索を支配した。心理学が終始著者の関心の対象となったことは、必ずしも単に著者の出発点及びその時代の傾向によるというよりも、著者の積極的な意向であったように思える。著者は常に論理の追究に厳正強靭であったが、しかし決して論理主義者でなく、常にそれの形式主義を排して、あくまで内面的充実化と現実的体験的なるものに即せんとし、それからの乖離を厳に戒め、かくして論理と同時に心理を重視することが積極的自覚的意志であった。
「自覚に於ける直観と反省」が極めて広く読まれたのに比して「意識の問題」は学会並びに読書界に喧伝されること比較的に小であったようであるが、これは著者にとっては不本意であったようであり、著者自身は寧ろ本書の方により学問的価値を認められていたようである。
本書の第一論文は、大正七年一月に掲載せられている故、その執筆と完了はその前年の末に属する筈であるが、大正六年度の日記は八月以降は空白のままであるため正確な日時を明らかにし得ない。大正七年の日記にも論文執筆に関する記入がなく、以下の諸論文作成の日時も日記からは明らかにし得ない。この年九月三十日、母堂の逝去に遭われた。この前後の日記に─
八月六日 「一先づ京都へ帰る」
十七日「再び金沢へ行く」
九月四日 葬儀、八日 中陰、十日 帰京の記事がある。
第六論文「経験内容の種々なる連続」の末尾に「此論文の後半は多少論述の混雑を来したかも知れない。併し私は此混雑を我母に別れた我心の記念としたいと思ふ」と付記されている。(単行本となる時削除された)。
第四論文「象徴の真意義」は先生の門下、京都大学哲学科出身の岡本春彦氏の夭折を悼んでその記念に執筆されたもの、その遺稿集の序文に載せられ、別に雑誌「思潮」に掲載されたものである。
大正八年の日記にも論文執筆の記入がない。ただただ八月二十二日「岩波へ「意識の問題」の原稿を送る」の記事があるのみである。
この年四月十八日ジョン・デュイ京都大学にて公演、又この年次には京都大学理学部園正造氏の群論の講義聴講の記事がある。
九月十四日 壽美夫人突然重病に陥られ、この後日記は杜絶えている。
大正九年厄災相継いで起り、壽美夫人は病蓐よりまた起つこと能わず、四月、長男謙氏発病、入院、六月死去、更に病者相次ぐ底のことあり、しかしこの間にあっても著者の思索と労作は途絶せず、次著「芸術と道徳」の時代に入る。
「芸術と道徳」は前著「意識の問題」に直接に続いて執筆されたものであって、その思想的立場もほぼ同一である。即ち「自覚に於ける直観と反省」において到達された立場からの、やがて「意識の問題」において整理された思想を基礎として、芸術と道徳の世界の成立とその相互の関係についての論究である。芸術と道徳、美と善との関係の問題は自ら真善美の関係に到らざるを得なかったが、著者自身序に言う如く「真とか実在とかの問題は未だ此書に於て十分論ぜられてゐない」。又これらの問題を動機にして文化の世界の考察が始まり、社会と個人、法と道徳の如き問題に触れている。しかしこれらの問題は更に後年に到って改めて根本的具体的に取り扱われるのであって、ここでは未だその端緒というべきであろう。
前著並びに本書の序文は初版にはなく、後に付せられたものであるが、著者のいずれの序文の場合とも同様に、本書の性格に対する反省的記述は重要な示唆を与える。特に芸術的直観に対する注意は、後年この概念が西田哲学批判の一中心となるものである故、重要である。
本書の執筆の時期は大正九年の始め頃から同十二年始めに亙るものであるが、日記にはこれに関する記述が殆んどない(対象九年一月一日の項に「原稿かく」、十二年一月四日「濱本に原稿渡す」─之は雑誌「改造」同年二月号所載「真と善」であろう─とあるのみ)故、雑誌に掲載の年次を以てほぼその執筆の時期を推定する外ない。これらの時期は前述の如き家庭的不幸に終始した時代であった。日記に「寸時も心のくもりはれる時はない」の如き字句が記され、一隅に「人の世の楽しき春をよそに見てとけんともなき我心かな」の歌が記されている。ちなみに十二年の日記には記事少なく歌稿のみの個所が多い。「続思索と体験」に収載された歌稿は多くこの頃のものである。
一月二十八日 「シベリヤの雪にうづもる白樺の春をまたるる我心かな」
「しみじみと此人生を厭ひけりけふ此頃の冬の日のごと」
二月三日 「殿堂に詣でし如き心地して病む子を見舞ひ帰りくる路」
四月四日 「かくしても生くべきものかこれの世に五年こなた安き日 もなし」
かかる身辺の境位の裡に本巻の諸労作が果された。左記の論文成立の年次と対照されんことを望む。
なおこの時期(大正八年)に、田邊元氏が哲学助教授として著者のもとに来任、同十一年三月欧州留学のため出発のことがあった。
意識の問題
意識とは何を意味するか 「哲学研究」第二十二号 大正七年一月
感覚 「哲学研究」第二十七号 大正七年六月
感情 「哲学研究」第二十八号 大正七年七月
象徴の真意義 「思潮」第二巻第三号 大正七年三月
意志 「芸文」第九年第九号 大正七年九月
経験内容の種々なる連続 「哲学研究」第三十五号 大正八年二月
意志実現の場所 「芸文」第十年第四号 大正八年四月
意志の内容 「哲学研究」第三十八号、三十九号 大正八年五月、六月
関係に就いて 「芸文」第十年第六号 大正八年六月
意識の明暗に就いて 「哲学研究」第四十二号 大正八年九月
個体概念 未詳
ライプニッツの本体論的証明 「芸文」第九年第一号 大正七年一月
(本書の序文は初版〈大正九年一月〉に於ては付せられていない)。
芸術と道徳
美の本質 「哲学研究」第四十八号、四十九号 大正九年三月、四月
マックス・クリンゲルの「絵画と線画」の中から
「芸文」第十一年第十号 大正九年十月
感情の内容と意志の内容 「哲学研究」第六十一号 大正十年四月
反省的判断の対象界 「芸文」第十二年第十一号 大正十年十一月
真善美の合一点 「哲学研究」第六十六号 大正十年九月
社会と個人 「哲学研究」第七十三号 大正十一年四月
作用の意識 「芸文」第十三年九号、十号 大正十一年九月、十月
行為的主観 「哲学研究」第七十八号 大正十一年九月
意志と推論式 「思想」第十二号 大正十一年九月
美と善 「哲学研究」第七十八号 大正十一年九月
法と道徳 「哲学研究」第八十三号 大正十二年二月
真と美 「改造」二月号 大正十二年二月
真と善 「思想」第十八号 大正十二年三月
(本書の序文も初版〈大正十二年五月〉に於ては付せられていない)。
なお「意識の問題」は東都大震災の後「改訂の序」を付して再刻、「芸術と道徳」は昭和十九年五月に改版、著者の手によって若干の修正が施された。その諸版には校正の精粗がある。
巻頭の写真は「芸術と道徳」のうち、「感情の内容と意志の内容」の著者自筆原稿である。
本巻の校訂は例の如く永井博、高木勘弌、古田光の諸君の協力に負う。
下村寅太郎記
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