旧版『西田幾多郎全集』第四巻(「働くものから見るものへ」収録)後記 下村寅太郎著
このnoteは、旧版『西田幾多郎全集』第四巻(「働くものから見るものへ」収録)の後記を抜き出したものです。後記を著した下村寅太郎氏は没後七十年を経過していないため著作権侵害と判断される可能性があり、その場合すぐ削除することを宣言します。
「働くものから見るものへ」について
『働くものから見るものへ』は前著『芸術と道徳』(大正十二年七月刊行)に次いで、大正十二年から昭和二年に亙る五年間の労作の集録である。始め『哲学研究』『思想』および『講座』(当時大村書店より刊行されてゐた哲学雑誌)に発表せられ、昭和二年十月にその初版が出版された。
本書も他の場合と同じく単なる論文集ではなく、一貫したテーマを追求した組織的著作である。ただただ前の論文は次の論文を動機づけ、後者は前者の補正、深化、徹底として成立したものであり、かくして各論文はいずれも過程的系列的性格をもっている。前後呼応して連続し専ら徹底追及の方向をとる。その思想の展開の過程や論文相互の脈絡については本書の序文が簡潔にこれを示している。本書の「働くものから見るものへ」という題名も過程的推移的な内容を示唆しているが、しかしこれは単に問題の展開、推移を示すだけではなく、著者の立場そのものの飛躍・転換を示唆するものである。本書がここに到って巨大な飛躍的展開を遂げ、一つの窮極点に到達した。本書における前篇と後篇との区別は実は単に本書内だけの境界なのではなく、広く先生の哲学思想の全発展におけるそれである。当今のいわゆる「西田哲学」なる名称もこの時から行われ始めたのである。その嚆矢をなすものは故左右田喜一郎博士による。本書の第八論文「左右田博士に答う」の動機となった博士の「西田哲学の方法について」(『哲学研究』第百二十七号、大正十五年十月)の冒頭に言う―西田博士は「働くもの」および「場所」の二論文において「既に一個の体系を備へたといひ得べき境地に踏み込まれた如くである。此の論文の内に現はれたる所謂学古今を貫き、識東西に亙るといはるべきもので、此等の諸思想、諸学説、諸体系を自家薬籠中のものとなして別に一個独自の境地に進み入られたのを見るは、余をして尊敬の念を深くせしむるのみならず、個人的には先輩の友人として博士の為めに祝辞をすら述べたいと思ふ。…泰西の文物を入れて既に数十年、今にして漸く一西田博士を得た事は我が哲学界の為めに誠に慶幸といはねばならず、又誇るに足るといはねばならぬ。余は既に其の学説を読んで博士の名を冠して『西田哲学』と称するに値する程其の体系を整へたるものありと考える」。論理、倫理、美学、宗教等の一々の領域に亙っては詳細に説かるるところはないが、これは今後ただ時の問題にすぎず、「其の体系の基本をなすに足るべき思想の完成」は「既に此の二論文によって達せられた」―云々。実際上、本書の後篇から後期の―完成期の西田哲学が始まる。その意味で後篇の諸論文は、この飛躍を遂げ、後期の思想の基礎を形成したものとして記念碑的意義をもつものである。本書が先生の恐らく唯一の恩師とも称すべき北条時敬氏に捧げられているのも意義深いであろう。先生の全著作中献辞をもつのは本書のみである。本書はまた先生の京都大学在職中最後の著作でもある。本書の最後の原稿が九月に送られ、翌年昭和三年二月に最後の講義を終えられている(第六巻「後記」参照)。のみならず本書の生成の期間は先生の身辺の恐らく最も多事なりし時期であったであろう。先夫人も失われた。時代も大正から昭和に改元した。ちなみに、『続思索と体験』に載せられている和歌には、本書の生成する時期の先生の身辺と心境を示唆するものがある。なおこの前後の日記には著作執筆に関する記入が甚だ乏しい。僅かに左記のもののみである。
大正十四年二月一日「岩波へ『表現作用』を送る。」
三月二十八日「二三日来『自覚の体系』というものを書きはじむ。」
〈大正十五年ノ日記ニハ論文執筆ニ関スル記入ガ全クナイ〉
昭和二年二月一日「旧稿訂正をはじめる。」
二日「『知ると云うこと』を書きはじめる。」
五月六日「『場所』訂正了する。」
六月十六日「『知るもの』を一先づ終つた。」
二十五日「『知るもの』をかき終り、原稿を岩波へ送る。」
七月三日「午後独り在宅、静思。静に半日を過す。三木来訪。
煙草も一本ものまず。
aus bosem Traum gewacht(悪い夢から覚めた?)
〈上欄ニ赤鉛筆ニテ太陽ノ光輝ガ描カレ独逸語ニテWiedergeburt(再生?)ト書シアンダーラインガ引カレテイル〉
いかなる腐木にも新しい生命の芽をふくことができる。けふは最[も]楽しかりし。」
二十四日「『働くものから見るものへ』を終る。岩波へ。」
九月三日「『働くものから云々』の最後の原稿を岩波へ送る。」
本書所載の諸論文の発表の場所と年次は次のごとくである。
前編
一、直接に与へられるもの 『哲学研究』第九〇号 大正一二年九月
二、直観と意志 『講座』第一〇号 大正十二年十一月
三、物理現象の背後にあるもの 『思想』第二十七号 大正十三年一月
四、内部知覚について 『哲学研究』第九六、一〇二、一〇三号
大正十三年三、九、十月
五、表現作用 『思想』第四一号 大正十四年三月
後編
六、働くもの 『哲学研究』第一一五号 大正十四年十月
七、場所 『哲学研究』第一二三号 大正十五年六月
八、左右田博士に答う 『哲学研究』第一三三号 昭和二年四月
九、知るもの 『思想』第七〇、七一号 昭和二年八、九月
ちなみに前述の第八論文の動機となった左右田博士の批評論文(『哲学研究』所載)は同博士の全集第四巻に収められている。
冒頭の写真は昭和三年頃のものである。
本巻の校訂は永井博、高木勘弌、古田光の諸君の協力による。
下村寅太郎記
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