#ぼくたちはなにでできているのか
#373_ヨガによって得られる究極の静寂は、未来を生きないこと、いまを生きることを可能に。
ヨガでは「楽に座る」ことを追求していきます。
最初はだれもが「楽な姿勢」を探します。
こうすればいいかな、ああすればいいかな、といろいろやってみて、でも答えはそこにはないこと、「座りにくさ」がどうやっても少し残ることに気づきます。
次に「ゆっくり座る」ことを試します。
ゆっくり動くということは、身体が起こっている出来ごとを受け入れる余裕を用意するということ。これは比較的うまくいきます。
そし
#372_「世界」は「自分」ですから、受け入れることで救われるものは世界ではなく自分。
「世界に起こる出来ごとを『よいこと』と『よくないこと』に分けてしまいがちで『よくないこと』が『よいこと』に変わるためになにかしようとしたり、それが起こらないようになにかをしたりというのをずっとやっていて、受け入れることをわすれている気がします」
「世界」は「自分」ですから、受け入れることで救われるものは世界ではなく自分。
#364_自分の中に起こっている出来ごと、あるいは自分という現象は、自分の意思が届かない出来ごとの結果であることを受け入れます。
「この建物の外の音に耳を澄ませます」
「この建物の中の音に耳を澄ませます」
「この部屋の外の音に耳を澄ませます」
「自分の中の音に耳を澄ませます」
外界の音が、自分の意思が届かない出来ごとの気配であるように、自分の中の音は、自分の意思が届かない出来ごとの気配であることに気づきます。
自分の中に起こっている出来ごと、あるいは自分という現象は、自分の意思が届かない出来ごとの結果であることを受
#362_ある決められたポーズをするときに「やりにくさ」を感じたら、それを静かに分析していきます。
小惑星に宇宙船が不時着して、パイロットひとりと、大気中の水分を飲水に変える装置だけが残った | 装置はボールくらいのサイズでボタンを押すとコップに飲み水が充たされる仕組み | 何回めか、何十回めか、あるいは何万回めかのボタンで装置は爆発してパイロットは確実に死んでしまうという設定 | パイロットは葛藤しながらボタンを押して水を飲む | しかしあるとき彼のなかでなにかが変わって、彼は何度もボタンを押
もっとみる#351_手に入れることがゴールではなく、いらなくなることがゴール。
ケーキをひとくちだけたべようと決めて、ひとくちめを食べて、ふたくちめを我慢しているひと
ケーキのひとくちめをがまんしているひと
ケーキをそもそも必要としないひと
最も自由で、最も遠いところに到達出来るのは、ケーキを必要としないひとであり、世の中の欲求の対象のほとんどすべてはひとつめを手に入れるとふたつめが欲しくなるからひとつめを手に入れるのをやめるのがよいものであり、手に入れることではなくい
#139_ケガが完治しても、以前のようなキレのあるパフォーマンスが出来なくなってしまうことがあります
スポーツ選手が激痛を伴うケガをすると、ケガが完治しても、以前のようなキレのあるパフォーマンスが出来なくなってしまうことがあります。
「イタかったあの出来ごと」を避ける動きを、身体が勝手にしてしまう。
こころが激痛を経験すると、その状況が完全に去っても、以前のような快適で幸福な状態を保てなくなってしまうことがあります。
「つらかったあの出来ごと」から自分を遠ざけようと、こころが勝手に反応してし
#138_瞑想は、なくても人生を生きることができる種類のものですが、人生の未知の価値を見出すきっかけになる、捨てがたいものです
「坐法を身につける理由は、アーサナとはそもそも坐法という意味であり、瞑想の邪魔にならない身体を手に入れるためのものだからです」
「瞑想は、なくても人生を生きることができる種類のものですが、人生の未知の価値を見出すきっかけになる、捨てがたいものです」
「瞑想によって手に入るものは、その次にはもうなにも欲しくならない、最後に手に入れるべき真の価値です」