かたばみ
私立小学校受験をした時の思い出、失敗談、様々エピソード。合格までの記録です。
タイトルの写真はうちのルルちゃんのゴッドハンド 膝がもう2年くらい痛い。立ち仕事だから、ずっと負担になっていたのがこの年齢になって限界にきたのかと。 まずは整形外科に行きますよねふつう 整形外科に、恐る恐る受診したのが2年前。膝が痛いって患者さんは山ほどお目にかかってきたが、自分も受診するなんて。 何か悪いものだったらどうしよう。手遅れですね、入院して手術しましょう。なんて言われたらどうしようとドキドキして整形外科に行った。 結果は、骨異常なし、軟骨も問題なし。ただ
娘ちゃんと離れて暮らして4年目。 とても良い距離感で、お互いを思いやる心を持つことができていると感じる。 一緒に暮らしていたら、そりゃもう。。。 大切だからこそ離れて暮らそう 娘ちゃんのことは大切に育ててきたし、これまで様々あったが結果的に(まだなにも結果なんて出ていないのだけれど)、良い方向に向かっていると思う。 娘ちゃんが大学入学の際に、大学のすぐ横に素敵な女子寮が完成した。自宅から通えないわけではないが、その寮に入って「ママ無し生活」をして欲しかった。 ママとし
私が子どものころ実家のあたりには、外国人(アメリカ人)の方たちが多く住んでいて、インターナショナルスクールも2校くらい近所にあった。 だからといって、その人たちと特別交流があるわけでも、怖がって近寄らないというわけでもなかったが、そのころから私の外国人への興味が止まらなかった節がある。 幼稚園入園時から始まった 幼稚園に入園した日、同じクラスにとてもかわいらしい「金髪・青い目・白い肌」の女の子がいた。なおみちゃんはどう見ても日本人ではない。彼女はちゃんと日本語を話していた
娘ちゃんと時々オーケストラや、ピアノの演奏会に出向くことがある。今は私が五条院凌さんのピアノに魅了されていて、チケットを取っては演奏を聴きに行く。 ピアノが弾きたい 私は幼稚園に入園する前から、ピアノに異常に興味があった。家にピアノは無かったし、誰かが弾いているのを見たのか?覚えていない。 幼稚園に入園したら、クラスのお部屋にピアノがあった。でも、自由に弾かせてもらうことはできなかった。弾くといっても、曲が弾けるわけではないので、耳で覚えた聞いたことある曲を適当な伴奏を
もしも、小学校受験をするならばいつからはじめるのがいいのか。 正解はもちろん無くて、目標とする学校にもよりけり。 我が家の娘ちゃんとたどった道のりの記録です。 2歳・小学校受験という選択肢に気がつく 私自身が公立コースで、酷い目にあっていることから私立の受験を考え始めました。夫と私立受験について話し始めたのは娘ちゃんが2歳くらい。 国立の小学校でもいいんじゃないか?なんて思っていました。(のちに、学区があることが判明。我が家は受験資格がなかった) だからといって、何をす
結果的に、当初の目標どおりの薬剤師になったのだから、いいではないか。 そう思えないのは、どうしてなのか。 母との確執か、努力した分が報われていないからか。 高校生活最悪 入学してからも、母からの嫌味は続いていたので毎日毎日苦痛だった。学校の門を通るたびに「本当は私の来る場所じゃないんだ」って思っていた。 部活もやろうかなって思っていたが「あんたそんな暇ないでしょう。勉強するんじゃなかったの」と、予想通りの言葉を母から浴びせられる。 母は、とてもその高校を馬鹿にした。保
少しずつ、涼しくなってきました。 着物を着るには良い季節です。なんの予定も今のところないですが、予定がなくても着物を着たいので、今期たくさん着る予定の着物を整理しました。 半幅帯、兵児帯と三部紐で色々並べて遊んでいます。 リユースで購入した結城紬 洗い張りした状態で売られていて、とても状態もよくてサイズが合ったので購入しました。が、袷なんです。袷って、着る季節短いんですよね。暑がりなものですから。もったいないから、たくさん着ます。 初めて着てみたときから、柔らかくて(リ
誰のせいでもないんだ。決めたのは自分なんだから。と、ずっと自分に言い聞かせてきた。 私の受験は失敗続き。ひとつもうまくいかなかった。 そんな思いを娘には絶対させたくない、そんな執念の塊な母親の話。 中学校入学から狂った人生 私の時代は「不良っぽいことがかっこいい」とされている時代だった。 そんなことは私には関係ない。学校が、社会が荒れているからってまじめに中学校で勉強したい生徒が、その風潮に振り回されて小さくなって生きていかないといけないなんて、おかしい。 小学校のころ
(タイトルの写真は宮ケ瀬ダムのとなりのあいかわ公園) 毎年毎年秋になると、心地よい風が吹いてくるとつらいのです。体が反射的に何かを思い出して、涙が出ます。 そして、この思いを毎年繰り返し自分の中でかみしめて、こうじゃなかった人生ってあったのかな、って考えます。 写真を撮らないママ 娘が4歳のころから、私たちは2人で暮らしてきました。 夫が亡くなってしまったので。 私が出産で入院し、退院したのと同時(か、少し前)に夫のガンがわかり、入れ替わりで夫が入院しました。S字結腸
帯状疱疹を発症してから4週間。よくなるどころか、日がたつにつれて苦しみの種類が変わるだけ……。 こんなにつらいんだっけ?と自分の記憶を疑いたくなる。 発症から4週間 最初に頭痛かも?と疑い始めたころから数えたら、もう1か月だよ。この苦しみからいつ解放されるのか。 当初のピリピリずきずきの痛みはピークを越えて、耳の後ろから頭皮にかけてのぶつぶつも消えた。 しかし、皮膚科の医師の予言どおり、次はかゆみだった。 かゆみは、少し前まで痛くて痛くてしかたなかった場所が、今度は
わが子を小学1年生から電車通学させるということに心配は尽きません。とくに災害。地震や火事だけではありません。電車は急に運行中止したり、はい、ここから折り返し運転でーす!なんてなりますからね。 娘ちゃんが小学生のときに、東日本大震災がありました。その時のことや、それ以外でも通学トラブル、対処についてです。 小学生の電車通学 海外ではあり得ないとよく聞きます。日本だって、安全だと思って安心して親は送り出しているわけではないのです。 なるべく通勤ラッシュに合わないよう、かな
(タイトルの写真は分包機の中身を洗って干しているところ。かわいい) 薬剤師の就職先はたくさんあります。学生の実習生をお預かりして、当然どういうところに就職したいのか?という話になったりもします。 今の会社は大手でもないので、私ごときが薬剤師の採用にも口出しさせていただいたり、実際の面接にも入ったりします。薬剤師の見る目があると、社内では評判です(笑) かなり私の偏見と思い込みが含まれますが、少しは就職先を迷っている薬学生や、転職しようと思っているかたの参考になればと思っ
(タイトルの写真の作品は、卒業のときに下の学年の子からプレゼントされたものです) 小学校受験の世界 話には聞いていました。大人でも考え込んでしまうような受験の問題を、幼稚園の子どもに解かせているという小学校受験。ドラマで取り上げられたりしていて「へ~、大変だ~」と、面白おかしく視ていました。 まさか自分の子どもに体験させるとは思いもしませんでした。 テレビドラマでみるよりも、もっと厳しく甘くない世界でした。最後がハッピーエンドを約束されているわけでもありません。 第一志
久しぶりに着物でおでかけした。 どうしても、この三軸組織の帯を締めたかったので。 写真がアップすぎる 三軸組織の帯は最近うちに来たばかりの帯です。写真がなんだか上手に撮れなくてアップすぎましたが、薄い紫色のグラデーションでして。涼し気な感じがとても気に入っております。 名古屋帯なので、お太鼓にしたのですがこの夏はどうしても暑くて帯枕が嫌で嫌で。半幅か、銀座結びかって感じだったのですが、今回は頑張りました。やっぱり暑いけど……。 暑さのせいにしていますが、着物を着てでか
どうも、れおです。 ぼくは猫3きょうだいの長男で、いつも一番がんばっています。きょうだいといっても、ちはつながっていないらしいです。 このごろルルが家族になって、ぼくの大変なことが増えたので、グチになってしまうかもしれませんが、きいてください。 最近のぼくのおしごと ぼくはずっとこのうちのねことして、大切にされてきた。 ママと娘ちゃんに溺愛されて、りっぱなねことしてやってきた。 ぼくも小さいころは、ぴょんぴょんママに飛びついて、よくおこられたけど、最近はそんなことはしな
こんばんは。ルルです。自己紹介のあと、全然ママはぼくをnoteに登場させてくれないから、どういうことかと心配していました。 今日は、ぼくがママのことをどれだけ好きかということをお話しします。 3匹の中でもいちばん! ぼくのおうちにはあと2匹の先輩ねこさんがいるのだけど、ぼくがいちばんママのことを好きなんだよね。 だから、ママがお仕事から帰ってくると、玄関の靴をぬぐところまで一番乗りではしっていって、ママに「おかえり」するんだ。 なぜかママはおこるよ。 「ここは靴を脱ぐと