なぜか英語を習いたかった
私が子どものころ実家のあたりには、外国人(アメリカ人)の方たちが多く住んでいて、インターナショナルスクールも2校くらい近所にあった。
だからといって、その人たちと特別交流があるわけでも、怖がって近寄らないというわけでもなかったが、そのころから私の外国人への興味が止まらなかった節がある。
幼稚園入園時から始まった
幼稚園に入園した日、同じクラスにとてもかわいらしい「金髪・青い目・白い肌」の女の子がいた。なおみちゃんはどう見ても日本人ではない。彼女はちゃんと日本語を話していた。お母さまが確かカナダの方だったとか。
母から聞いた話では、なおみちゃんをみつけるやいなや私は「ねえ、ママ。外人の子がいるよ、話しかけてもいいかな」と騒ぎ、返事を待たずに話しかけに行ったそうな。覚えていないが、その後よくなおみちゃんと遊んでいて、お互いの家に行き来していた。
とにかく私は、子どものころから「外国のひと」に興味があり、あの人たちと話しをするには「英語」とやらができればいいらしい。と理解していたようで、どうしたら英語ができるようになるのか、無い知恵を絞っていたようだ。
アルファベットとローマ字
今思うと、ローマ字ってなんだよって思うけど。あれを覚えれば英語ができるのかもしれないと思って、父にアルファベットの文字と、ローマ字表記のしかたをおしえてもらった。
でもなんだか、それができても英語ができている気はしていなかった。
幼稚園を卒園したら、なおみちゃんは一家でカナダに帰ってしまった。頼みの綱はもうない。
まわりの大人で英語ができそうな人は皆無で、むしろ両親は学校の授業としての英語は比較的苦手な、典型的日本人だったし。
衝撃的な事実
小学校に入学しても、英語への欲求はおさまらず。自分の持ち物にはローマ字で名前を書き、下敷きとかノートへは油性ペンで英語っぽい落書きなんてしちゃっていた。
ある日、隣の席の男の子が「ぼくは英語を習っているから、物の名前とか知ってるよ」などと言っている。そして、私のノートに「CLOUD」って書いてくれた。「雲ってことだよ」って。衝撃だった。
なんてことだ。英語って習いに行けるものなんだ。私はその日急いで母に「英語習いたい習いたい」って言った。CLOUDの彼が習っているところをちゃんと聞きつけていたので、新規募集のときに入りたい!!ってお願いした。
週2回の楽しみ
欲望のままに、英語教室に入会させてもらえた。
6人くらいのクラスで、結局そのメンバーで5年くらい通っていたと思う。どの子もやる気まんまんで、どんどん吸収していくタイプの人たちだった。全員ちがう小学校だったので、それも新鮮で楽しかった。
きっとそのメンバーは特殊だったのではないかと、大人になってから思う。小学生向けの英語カリキュラムが、用意されているものをどんどん消化してしまうので、テキストの作製が間に合わなくなったりしていた。
外国人の先生に対しても、誰一人として怖気づくようなことはなく、先生の国ではどうなの?とか、食べ物はなにが好き?とか、結婚しているの?とか、思いつくままに話していた。
そのメンバーでは、英語劇をやったり、お菓子を持ち寄って勝手にパーティーしてしかられたり、みんなで先生の家に遊びに行ったりと、学校では味わえない時間を過ごした。
中学生になってから
中学校に入るころには、もう多分中学校英語のレベルは十分あったのだと思う。習っていた英語教室も、一人辞め二人辞めとなって、中2の時点で私だけになってしまった。
中学2年生の終わりごろに、全体の暗唱コンテストがあって、そんなのいつも出ないくせにもう最後かもと思って出場してしまった。予選で勝ってしまって、まあまあ大きなステージで発表することに。
自分の番だと思ったら緊張しすぎて、番号も名前も呼ばれてないのにさっさとステージ上に出て行って、気持ちよく発表し、ニコニコして退場。
ステージ袖で先生たちの顔が険しくて「私まちがえてないよね?」って言ったら、「勝手に出て行って勝手に発表した面白い人」になっていたと発覚。せっかく、新しいスカートとセーター着て張り切っていたのに。
結局入賞して、表彰もされたがそんなことはどうでもよかった。中学2年生の私はこの恥ずかしさから早く逃げたかった。
その後、私のレベルに合った中学生のクラスがないので、高校生のクラスに行くことになった。まずは見学してきなさいと放り込まれる。
帰国子女のクラスだった。なにやら映画を見た後、みんなで議論している。もちろん全部英語。無理そうだ。
では、もう少しレベルの低い高校生のクラスへ。
そこは誰もやる気がなく、中学校1年生にも達していないようなお姉さんたちだった。どうやって高校受験したんだろ。お姉さんたち全員同じ高校の制服着てた。
結局、もう私の居場所がないってことで、英語教室は辞めることになった。
英語教育はいつからがいいのか
娘が生まれて、教育についてあれこれ考えるときに、夫と英語はいつからやらせるか?と話し合ったこともある。
夫は仕事で英語は使うし、取引先の方も外国人が多かったのでビジネス英語はできる人だった。でもそれは、社会人になってから必要に迫られて?習得したスキル。
ママ友や、職場の中にも帰国子女で英語に不自由しない方たちがいる。そして彼女たちに共通するのは、自分の子どもには「まずは日本語をしっかり習得させる」「英語は早くても小学校以降から」というのだ。
なにより、日本語って難しいらしい。とくに漢字やカタカナ。小さいころから英語を聞かせて、英語漬けの教育を日本で受けさせて、なんていうことは彼女たちは否定的だった。大人になっても、どっちの言語もあやふやになるらしい。
英語はあとからでも習得しやすいから、小さいうちは日本語で。というのだ。なるほど。確かに。発音だって、必ずしもネイティブっぽい必要はないし。それぞれのアクセントがあるのが当たり前。世界の中で日本人のアクセントはそんなに悪くないらしい。
わが子の英語教育
うちの娘ちゃんは、小学校に入ったら英語の授業が週2回から3回あったので、それに伴って自宅でもベネッセの英語をちょっとやってみたりしていた。
その後、ネイティブの先生が複数いる英語教室があったので、そこの入会テストを受けさせた。初めて会った外国人の先生となにやらよく話している。私とちょっと練習したくらいなのに、自信満々で。
初めての子が入るクラスでは物足りないだろうということで、先生の判断で少し上のクラスに入った。
そこには中学2年生まで通っていたかな。すべての英語の能力はそこで身に着けたと本人は言っている。学校の授業は、文法とかよくわかんないらしい。そのわりには、中学3年生のときにしれっと英検2級受かってて尊敬。
高校はお勉強レベルの高いところだったもので、授業も難関大学受験を念頭に進める。娘ちゃんはやっぱり英語の文法やら構文やらができなかったらしい。わかっていることをいちいち聞いてくるって。
それがテストだからな。
しかしリスニングテストだけはいつもできる。娘ちゃんと、あともう一人はずば抜けてリスニングができたらしい。しかし、二人とも筆記が底辺。もう一人の子はインターナショナルスクール出身だったそうな。
英語が話せればいいのか
長年、英語ができるようになりたいと、大人になってからも自分は勉強してきた。仕事でも外国人が多くくるような薬局に長くいたこともあって。
結局は英語が話せるか、ということはただの前提で、「英語で何を伝えるか」が大切だということ。
娘ちゃんも、高校生のときに学校の研修などで3か国ほど経験してきた。結局、英語ができる子でもホストファミリーと全然しゃべらないで帰ってくる子もいれば、誰かに頼ってずっとホームシックになっているような子もいたらしい。
その点わが子は海外の学校の授業に参加したときも、「Wi-Fiがつながらないんだけどどうしたらいいんだ」と職員室に乗り込んでみたり。
ニューヨークの大学のキャンパスに放り込まれて、課題を与えられてインタビューしてきたり。
ホストファミリーとも仲良くしてもらって、たくさん写真も撮ってもらってアルバムもらってきたり。
たくさんつらい思いもしたのでしょうけど、その能力、うらやましい。
現在は私は英語を全然必要としない職場にいるが、なぜか英語を勉強したいと常に思っている。思っているだけ。必要に迫られないとやらないのは残念でならない。