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人はどうして書くのか?

ふと不思議に感じたことがあって。

“どうして今、有料販売しているのだろう…”

もともと、「書くのが好き」とかなく、機械もニガテで。

最初は、5行に1時間もかかって、始めた日記(ブログ)で。

しかも、一本指でしか打てなかったのに、

いつのまにか、両手で打てるようになって、しかも続いている…


そして、なんだかふと、こわくなったのです。

その時に、まったく想像していない未来をいま生きていると。

もしかしたら、少し先から今を振り返ったときにも、おなじように

「何か想定外」を生きているんじゃないかと思って、

なんだか、今の自分にも過去の自分にも ふとエールを送りたくなりました。

***

そういえば、来月でnote2周年なのですが、始める前は

いま自分が、こんなふうに毎日書き続けているなんて想像もしていなかった。

とても気軽?な気持ちで、でもエイ!と勇気をもって始めたことで

いろんなご縁も、出逢いも生まれた記事もたくさんあって、

どれもが未知数で。

そう考えると、いつもほんとうに航海図のないような海をただ一生懸命泳いできただけなんだなって。

ただただ、その日その時の瞬間・直感で生きてきただけなんだと。

でもそれが、いつしかやさしい波になって、今わたしはここに辿り着いている。

***

もちろん、揺れることも、波にのれることもあるけれど、その記録は確かに
自分を前へ前へと押し進めるものになれていて。

いつの、どの記録をとってもわたしはやっぱり輝いている。

そう感じられたときに、やっぱり「書いていてよかったな」と思えるし

大切なことを忘れないためにも、伝えるためにも文字がある。


そして、いつもその先がどうなるかなんてわからないから「人生」なんだ。

わからないからこそ、わたしたちは生きていられるし、生きてもいけるんだと
あらためて感じられたのです。

「来年、何月何日、何分に どこで どうなっている」が全部わかってしまっていたら、きっと
生きる希望を失ってしまう。

「わからない」ことが、時に辛く感じられるようなときにでさえ、

それさえ本当は贈り物だと気づけたなら

わたしたちは「今」に輝くしかないんだ。

時計 花 葉 書く

もうすぐ、夏至。

太陽がいちばん奥にまで届くときだからこそ

もう、生まれ変わらない(れない)と決められている魂さんは、最後の人生だと思って

毎日をただ悔いなく生きていきましょう♪


「また、次がある」と思うのと、「もう生まれ変わら(れ)ないから」では全然時計の針の進みが違う。

こころの羅針盤の針にこそ、毎日忠実に生きていきたいものです。



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