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昔から別府は湯治場

昔から別府は湯治場

別府の鉄輪地域は、昔から湯治場として有名です。
湯治場というのは、ちょっと長い期間(一週間以上)滞在して、温泉に浸かり、悪いところの治療目的とする場所の事です。
温泉地には湯治場がよくあり、もう亡くなりましたが、大正生まれの義理の祖父母は若い頃、よく七輪を持って、温泉地の湯治場に一月程滞在していたと話していた事がありました。
基本、狭い一部屋、トイレや炊事場は共同での素泊まりで、とても安かったそう

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熊本県高森町の美味しい店

熊本県高森町の美味しい店

熊本県阿蘇の高森町は、阿蘇のカルデラの中、南側に位置しています。
カルデラの北側には、観光地が広がり、カルデラの淵には、「大観峰」などがあって、景色も雄大です。
南側と言えば、温泉もあり、裏の阿蘇を眺めることができます。

そして、美味しいお店が色々あります。
主には、「田楽」で、
“高森田楽村”と言われるほど、田楽の店があります。
どこも古民家を利用していて、囲炉裏で炭火で目の前で調理しながら食

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長崎ペンギン水族館

長崎ペンギン水族館

昔、小学校の修学旅行で長崎を訪問した時、初めて行きました。
その頃はまだ、『長崎水族館』という名前でした。
でも、昔でも、ペンギンが多く、見ていて楽しい水族館でした。
長崎は、山が連なり、海まで一気に斜面があり
ヘアピンカーブの続く道が沢山あり、ここもヘアピンカーブの先の小さな湾にあります。

1998年まで『長崎水族館』でしたが、2001年『長崎ペンギン水族館』として復活しました。
元々、「大洋

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父の東京地図

父の東京地図

父の絵葉書と一緒に、東京地図もありました。
多分、絵葉書と同じ時に東京へ赴いた先で購入したものと思われます。
ですから1950年代、(昭和30年代)だと思われます。

東京生まれで住んでもいた父が地図が必要だったのか不思議なのですが、戦後すぐの頃に住んでいた時より10年は経っていた頃の東京はさぞかし変わっていたと思われます。
残してくれていた地図は、私にとってはとても興味深いものでした。

まだ、

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父の絵葉書②

父の絵葉書②

あと一枚を紹介しましょう。

銀座のネオンです。
ここは何処?
で探してみました。

1953(昭和28)年頃から、銀座のビルの屋上には大型のネオンの広告が設置されるようになり、夜の街を彩るようになりました。
昭和30年代の「銀座通り」で、銀座4丁目と、5丁目の境の通りの様です。
映っていませんが、和光が右手にあるみたいです。ですから右手前には銀座三越があるようです。

「鳩居堂」の上に見える『ナ

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父の絵葉書①

父の絵葉書①

実家の整理をする中で、父の持ち物が出て来ました。
東京の観光絵葉書です。
検索して見たら“昭和30年初期の絵葉書”となっていたので、東京に行くことがあったのでしょう。

8枚セットの絵葉書は、どうも外国人向けの絵葉書だったようで、英語の解説も付いています。
今も変わらぬ風景があると思えば、変わってしまった風景もあってとても興味深いです。

寛永8年(1631)江戸時代、重臣土井利勝が、東照宮造営に

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寝台車に乗って、東京へ

寝台車に乗って、東京へ

50年も前の話です。
小学校卒業後の春休み、従兄弟の結婚式で、初めて東京に行きました。
祖母も一緒だったので、大分まで行き、大分から、特急列車に揺られ、小倉駅から寝台車に乗り換え東京へ向かったのです。
確か寝台特急「あさかぜ」(ブルートレイン)に乗りました。
初めての寝台車。

節約の為、食堂車には行きませんでしたが、
家族4人、扉は無いもののボックス席になっていて、家族団欒で、持ち込んだ駅弁に、

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大分市佐賀関町

大分市佐賀関町

全国にも、有名になった「関アジ」「関サバ」
のある佐賀関は、父方の本家があるので、小さい頃からよく、訪れていました。

本家の家は、漁港の直ぐそばで狭い路を少し登ったところにあります。
私が子供の頃は、本家のおじさん(祖母のお兄さん)が漁師をしていて、港に帰ってくるのを迎えに行ったりもしました。
その頃のおじさんは煙突のある小さな漁船に乗っていました。
漁は、主に「イカ」を取っていて、船の真ん中に

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