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140字小説

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「卒業アルバム」
卒業アルバムをびりびりに破いた。深い考えなんてない。衝動的にやった。アルバムの中の僕を引き裂いたところで、消したい過去を消せるわけじゃない。けれど、僕には否定する以外になかった。“これこそが本当の自分だ”と真っ向から言えるものがなかったから。#140字小説

「黄昏」
黄昏時に坂道をのぼる。
蛇の背中のような階段を踏みしめながら。
夕陽が照らす石段を、のんびり下りる猫におじぎ。
そして、頂上で見る暮れゆく空。
あの日、君と見た夕陽の色は、こんな感じだったっけ?
届かぬ恋と僅かな期待が、混ざったような不思議な色合いに、僕は立ち尽くす。

「せめて」
君が誘ってくれた夕食。君の家の近所のスーパーで一緒に食材を選び、僕も手伝って作った煮込み料理。不思議な味がして、笑ったっけ。特別ではないものが、特別に思えることを知った夜。せめてその一瞬、彼のことを、君も僕も忘れられたなら…。独りごちて、家路につく。 #140字小説

「隙間」
僕の部屋の扉には隙間がある。ひどく古い家だから仕方ない。冬には冷たい風が忍びこんでくる。僕は四六時中ここで過ごす。たくさんの囁き声が僕の耳に届く。だけど、僕の声は届かない。まるで密室トリックみたいに。それでも、僕は声を振り絞る。僕はここにいるんだと叫ぶ。 #140字小説

「シール」
最初はとても魅力的に見えたんだ。気に入らなければ剥がせばいいよって、みんなも言うしさ。だから、そっと貼ってみたんだ、慎重にね。だけど、今となってはどうだい? 剥がそうとしても剥がれないんだ。まるで皮膚の一部になったみたいに。僕の一部になったみたいに…。 #140字小説

「躾(しつけ)」
“お前が憎くてやっているわけじゃない。どうしてそれが分からないんだ!” 父さん、あなたが“しつけ”と呼んだ暴力で、僕の身は美しくなったのでしょうか? もし僕の身が美しく見えるなら、それは僕を慈しんでくれた人たちの愛のために他なりませんよ。 #140字小説

「最終電車」
乗客もまばらな最終電車。一人ずつ電車を降り、私が降りる二つ手前の駅で、車両には私しかいなかった。よく見ると、両隣の車両にも誰も乗っていない。次の駅に着き扉が開くと、沈黙が続いた。電車が動き出さない。訝って先頭車両を見に行くと、運転士すらいなかった。 #140字小説

「コーラ」
自販機のコーラを見たら思い出す。子どもの頃、学校でいじめられ泣いて家に帰ると、親父は俺を連れて近所の河原を散歩した。しばらく歩くと自販機があって、親父は二人分のコーラを買って言った。「大丈夫や、大丈夫やで。」あの日の親父の声がよみがえるのだ。 #140字小説

「ケース」
差出人不明の郵便物が届いた。中身は黒いケースだった。インターホンが鳴った。「◯◯警察の者です」僕は警察に連行された。どうやらケースはある事件の証拠品らしかった。容疑者は僕のような長髪の30代男性。僕はケースを配達した長髪の男の口元の笑みを思い出した。 #140字小説

「クーリングオフ」
いつまでなら返品できますか? 思っていたものと、かなり違っているんですよね。もちろん周囲のアドバイスももらって、慎重に選んできた自負はあるんですよ。でも、こんな筈じゃないっていう思いが日に日に高まって…。何とかなりませんか、僕の人生? #140字小説

ちらちらと雪の舞う日。自販機でホットレモンを買って飲んだ。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がった。その朝まで心にあった淡い希望は、脆くも崩れ去った。幸せそうに並んで歩くあいつと君の姿に、僕は拳を握りしめた。冷たく濡れた胸の内に、ホットレモンの熱が沁みた。 #140字小説 #レモンの日

老人がふいに道を横断しようとし、僕は急ブレーキを踏んだ。車を降りて老人の姿を探したが、どこにも見当たらなかった。翌日の新聞を読んで驚いた。昨夜老人に出くわしたすぐ後に、近くで大きな交通事故があったのだ。急ブレーキで止まらなければ、僕も事故に巻き込まれただろう。 #140字小説

塾の帰り道。ふーっと吐き出した白いため息が空に舞った。もうじき受験日がきて、僕らはそれぞれの道へと旅立つ。あの娘は隣町の女子校を受験するらしい。新しい日々への期待とやがて来る別れへの不安が心をよぎった。ため息はいつの間にか空の彼方に吸い込まれていた。 #140字小説 #塾の日

「空き家」
小学校の近くに空き家がある。下校時刻、誰もいないはずの2階の窓に、少女の姿が見える。そんな噂が学校で流れた。僕は噂を信じなかった。でもある日の夕方、空き家の窓に少女の姿を見た。その直後、携帯電話が鳴った。淋しげな少女の声が「ねぇ遊ぼうよ」と囁いた。 #140字小説