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アート批評、展評など

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記事一覧

自粛とか自己規制は力の責任転嫁

自粛ってのは、自分の範囲で完結することが前提なんだよと再確認してみる。
鼻くそほじるのとか、大声で歌うとかさ。「自分で決めることですが、やらない方が絶対に良いのでやめて欲しいなぁ」でしょ、自粛って。
でもその活動が、その人個人の範囲を超えて、他者の経済活動などにも影響を与えるものだと、「自粛しろ」っていうのは明らかな営業妨害となる。つまり、大声で歌うのをカラオケでやるな!と言えばカラオケ店への営業

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パフォーマンスとしての議論に騙されないようにね

安倍晋三らの「ご飯論法」、国会でのなされように怒りとか不満とか嘲りとか色んな感情を抱いてきたけど、実際の自分の仕事関係でそういう対応する人に初めて関わってる。多分こういう対応する人って、自分の能力を最大限に使って、自分のことを正当化する努力をした時に、「ご飯論法」を使ってうまくごまかせた成功体験を繰り返して、それが自分の「高い能力」なんだと勘違いしているのではないのかな。小中高大と。
wikiには

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あいトリから引き受けるべきこと

久々のノート。

前の水曜日に、AMSEAで津田大介さんにレクチャーをしていただいた。これは、あいちトリエンナーが社会的に大きな話題となる前からお呼びする予定だったもので、当初はジェンダーバランスとか、ジャーナリストがディレクターをすることの意味とか、日本における社会とアートの関係についてとかをお話しいただくという想定でしたが、結果的には、最後の「社会とアートの関係」について、今回のあいトリを具体

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HINOMARUから考えるべき表現と批評の関係についての当たり前の前提

元スピードの今井絵理子、不倫騒動の後ブログを書いていなかったらしいけど、今話題になっているあるバンドの《HINOMARU》という曲をめぐる騒動について書いたようだ。https://gamp.ameblo.jp/eriko--imai/entry-12383097334.html?__twitter_impression=true

「新曲「HINOMARU」に対して色々な声があがっていることを知り

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東大食堂の宇佐美啓司作品の廃棄問題

東大の中央食堂にあった宇佐美啓司作品の廃棄について色々と議論されてますが、私なりに考えたことを書こうと思います。

問題は二つの論点に整理すべきかなと思います。

一つはアートワークを廃棄する行為をどう考えるべきなのか?
アートワークは我々の社会においてどのように扱われているのか?

という二点です。

廃棄ということがかなりショッキングに受け止められて、かなり攻撃的に批判がされて

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美術教育の転換期、かも

美術科教育学会滋賀大会で滋賀大に行ってました。
今回強く感じたのは、美術観に関する世代間ギャップがいよいよ明確化され始めたなということです。多分、旧世代はそのことに気づいていなくて、イライラしてたり、お前らわかってないみたいな捉え方で終わってるのかなと。まだ、年配の先生たちに盲従するタイプは多いですよ、若い人でも。でもね、若い世代の研究が少しずつ変わりつつあるのが感じられ、それは喜ばしいと思います

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アートを祝う「わたし」を演じる〜最初に歌いはじめるのは誰だ〜

3/9に行われたWiCAN2017による「アートを祝う『わたし』を演じる」、おかげさまで大変意義のあるイベントになったと感謝しております。

この企画は、千葉市美術館が2年後に機能拡張をする計画を踏まえて、それを支える新たな人的ネットワークを構築する一つの試みとして取り組んだものです。もちろんWiCANは教育プログラムでもあるので、人材育成としての成果と意味ある事業実施の二兎を追う取り組みです。

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2016年の田中功起展について書いたこと

今日、東京大学で行っているAMSEA(社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業)で、竹久侑(水戸芸術館)さんにレクチャーをしてもらったので、備忘もかねて再掲しておきます。(2016年5月4日にFBに書いたもの)

水戸芸術館で開催されてる田中功起展を見てきた。
まず最初に言うべきなのは、コミュニティやコミュニケーションに関心のある人は見るべき。一日美術館で時間を過ごす価値がある。
ただ

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美術の可視化する力?隠蔽する力の間違いでは?

芸術祭が日本国内では大流行りだけど、私は手放しで喜んではいない。地域にアートが出て行くことを擁護する立場ではあるが、ここまで一般化され、行政の取り組みとして当たり前のように実施されると問題なしとは言えない状況も現れてくる。

一番大きな問題は、社会にどのような眼差しを向けるのかが前提として問われてないこと。日本の地域アート系芸術祭の多くは、多様性を謳いながら、極めて画一的な価値観を強いている詐

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制度が守ってくれることもある

教科書執筆に関わる者として、検定制度は健全な国家であれば不要だと思います。はっきり言えば、学習指導要領さえも国が決める必要はない。だけど未成熟な国家だと、その基準がないと危うい。

そういう意味で、教科書検定は国が危うい不安定な状況にあるときは、最低レベルでのバランサーとして機能し得る。灘高の校長先生が、自民党右派議員たちからの圧力に対し、「検定を通っているのだから、そのうちのどれを選んでも問題な

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発信することと感情に支配されることの間

発信することと感情に支配されることの間

なんと言うか、今の世界は、表現するための敷居が下がることと、表現することの責任について考え判断できる能力が育まれることのバランスが著しく欠けてると思う。一般の人達から専門家としての表現者までね。
ネット世界の教育については、ICTがどうとか今言ってる連中のやってることよりも、先にやるべきことがあると思う。マナーとかのレベルじゃ解決できない。感情と知性をどう折り合いつけるのか、そうした技能を身につけ

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千葉市の朝鮮学校への補助金不交付について思うこと

千葉市の朝鮮学校への補助金不交付について思うこと

千葉市が千葉朝鮮学校への補助金を打ち切ることにした件について考えてました。

私の個人的な関わりとして、あの展覧会について話すと、前々回の美術展(在日朝鮮学生美術展千葉展)を千葉市美術館でたまたま見る機会があり、その表現力に驚きました。これまた偶然ですが、私の研究室に千葉市の長期研修生として1年間在籍していたことのある美術教員が、朝鮮学校から一番近い市立中学校に勤務しており、その展覧会に中学校の美

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学会でのこと 美術・科・教育・学の危うさ

静岡の学会ですごい場面があったので、備忘も兼ねて書いておく。

学会の理事を今年度から務めさせていただいているのだけど、美術科教育の研究を進めるうえでの倫理規定をきちんと学会で持っているべきだという議論があって、担当の理事が手続きを進めていた。理事会で提案の文面が示され、色々と文言や内容への指摘がされたものの、大筋では規定の整備は必要だよねということで、総会で倫理規定の制定について学会員に諮り、文

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NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」への違和感への違和感…

このNHKスペシャルの東田直樹さんの番組についてのこの人の記事にはとても違和感を感じた。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161214-00010000-mediagong-ent

何が言いたいんだろう?

私個人の感想は、2014年の「君が僕の息子について教えてくれたこと」は見るに値するもので、一番大きいのは、それぞれの精神世界はもちろ

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