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記事一覧
【批評の座標 第23回】「あなた」をなかったことにしないために――竹村和子論(長濵よし野)
「あなた」をなかったことにしないために――竹村和子論
長濵よし野
ここにわたしがいる。脳裏には――今遠くでたしかに呼吸をしている――さまざまな「あなた」(たち)が浮かぶ。それぞれを今、個別具体的な「あなた」として思う。わたしはわたしのことを「わたし」だと思う。そしてあなたもまた、あなた自身を「わたし」と思い、わたしのことを「あなた」と呼ぶだろう。
これからはじめるのは、ジュディス・バトラ
【批評の座標 第22回】蓮實重彥、あるいは不自由な近代人(鈴木亘)
蓮實重彥、あるいは不自由な近代人鈴木亘
1. 批評体験
蓮實重彥(1936-)は最初の著作『批評 あるいは仮死の祭典』(1974年)の第二段落で、すでに自身の文体的特徴をかなりの程度発揮させながら、しかしいくぶん実存主義の香りを残した調子で、「批評体験」について次のように説き起こしている。
蓮實にとって「およそ「作品」と呼ばれるもの」を読むことは、未知なるものと不意に出会ってしまうことで
【批評の座標 第21回】悲しき革命家としての鹿島茂(つやちゃん)
悲しき革命家としての鹿島茂つやちゃん
夢と現実が入り乱れる中うつらうつらとまどろむ、その深層の中、あるいは集団の夢の中で、ある一つの流れ――自動律のような――が生まれる。それは、私にも乗り移る。今どこにいるのだろうか。夢に巻き込まれ、どこまでも連れていかれてしまう私――眠っているのに運動しているかのような――。
*
鹿島茂(1949-)と聞いてまずイメージされるのは、彼が「具体」の人である
【批評の座標 第20回】実感としての「過去」――江藤淳論(松本航佑)
実感としての「過去」――江藤淳論
松本航佑
1.「過去」と「現在」の距離
「私」を考えるとき、我々はどのように考えるであろうか。それはおそらく、「私」はこのような性格で、何を好み、あるいは嫌い、どのような仕事をしていて……、といったように、自身にまつわる事柄を中心にして考えるであろう。だが、「私」はそのようなものだけで本当に説明することが可能なのか。自分の属性や経歴のみで本当に「私」は語
【批評の座標 第19回】「戦場」から「遊び場」へ――西田幾多郎と三木清の関係性を手がかりに「批評」の論争的性格を問い直す(岡田基生)
「戦場」から「遊び場」へ――西田幾多郎と三木清の関係性を手がかりに
「批評」の論争的性格を問い直す
岡田基生
1. 「論争」が「戦争」に変わらないために
「批評」という営みが、批評の対象(言論、作品、活動など)の問題点を指摘する、という側面を含んでいる以上、それは論争的性格を離れることができない。この性格をどう捉えるのか。それが問題である。問題点を指摘することは、直ちに対象のすべてを否定
【批評の座標 第18回】名をめぐる問い――柳田國男『石神問答』において(石橋直樹)
名をめぐる問い――柳田國男『石神問答』において
石橋直樹
1、はじめに
かつての批評家たちの数ある文章のうちに、時折、あちらへこちらへと引き摺り出されるようにして、その特異な名は据えられてある。その名に批評家はあるとき出会い、あるときには決別し、またあるときにはその名前を読み替えていく。その不意の一撃が批評という営為のなかに絶えず現れるならば、その名の主は、批評という横断としての営為が位
【批評の座標 第17回】失われた世界への旅先案内人——山口昌男と出会い直す(古木獠)
失われた世界への旅先案内人——山口昌男と出会い直す
古木獠
1 知の集団旅行
このまえ、熊野は新宮へ行った。批評のための運動体『近代体操』の同人である松田樹、森脇透青、そして哲学、文学、芸術、政治にかかわる人らとの、中上健次の足跡を辿る旅だった。中上が描いてきた故郷の土地をめぐり、いまや「消えた」被差別部落の「路地」という場所について考え、また市民グループ「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する
【批評の座標 第16回】「孤児」よ、「痛み」をうめいて叫べ――『鬼滅の刃』と木村敏における自己と時間の再生(角野桃花)
「孤児」よ、「痛み」をうめいて叫べ――『鬼滅の刃』と木村敏における自己と時間の再生
角野桃花
序章.木村敏の再生――主体の獲得という扉を開くために
生まれてこのかた、「痛み」で叫ぼうとする口を世界によって塞がれている気がした。
世界は、“正しい人間”は「痛み」を感じてはいけないと私に教え諭す。この「痛み」を知ってほしいと、他者に手を伸ばそうとするなら、人間関係を円滑に進めるとかいう「キ
【批評の座標 中間報告記事】編集補助班よりふたたび愛をこめて
編集補助班よりふたたび愛をこめて――中間報告
1.「批評の座標」ここまでの連載
note連載企画「批評の座標――批評の地勢図を引き直す」も、すでに第一回から第十四回までを数え、ようやく折り返し地点である。月に二本の記事を掲載する本企画は、一年間の連載を予定している。ここまで掲載してきた記事を、一覧にまとめてみよう。
①赤井浩太「ゼロ距離の批評――小林秀雄論」
②小峰ひずみ「青春と悪罵――
【批評の座標 第14回】SFにおける主体性の問題――山野浩一論(前田龍之祐)
SFにおける主体性の問題山野浩一論
前田龍之祐
1.‘‘SF批評家・山野浩一’’の誕生
過去の日本の批評家の仕事を振り返りながら、「批評の地勢図を引き直す」ことを目的とする本企画だが、SF批評の「地勢図」を考える際に多くの読者が想起するのは、巽孝之編『日本SF論争史』(勁草書房、2000年)によって纏められた一連の議論ではないだろうか。
同書は、日本初のSF商業誌『SFマガジン』の創刊
【批評の座標 第12回】西部邁論――熱狂しないことに熱狂すること(平坂純一)
西部邁論熱狂しないことに熱狂すること
平坂純一
1・「保守的心性」揺るがぬ根本感情
人が保守主義者という時は「書斎に篭る気難しい老人」だとか「権威に棹さす山高帽」やら「横分け白髪の親米派」「神社と兵器に五月蝿い懐古主義者」と相場は決まっている。保守主義がフランス革命と啓蒙思想、主知主義批判を根拠に我が国に流れ着いて土着化したとすれば、いわゆる人士を眺めたとして果たして面白いだろうか?