些流透

些流透(さりゅう・とおる)と申します。

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【小説】親密

週一回の頻度で更新していきたいと思います。 既にヒントは出していますが、最終回でこの小説の ネタバレをしたいと思います。 更新がなくなったら厭きたと思って諦めてください。

    • 石原慎太郎『僕は結婚しない』とオタクの心情

       『僕は結婚しない』は2001年9月に文藝春秋から上梓された小説で、石原慎太郎が69歳の時に書いたものだと考えれば、このテーマを選ぶことに驚きを禁じ得ない。  『僕は結婚しない』の文庫版は2003年9月に出版されており、精神科医の斎藤環のわかりやすい解説が巻末に付いているので、特に付け加えることもないのであるが、気になったことを少し書いてみようと思う。  本作において誤解されそうなことは、主人公の僕が「僕は結婚しない」と言っている相手として両親とか親類縁者とか友人とかと安易

      • 情報過多の中の究極の「免罪符」について

         先の兵庫県知事選で斎藤元彦前知事が再当選したことに関して元文部科学事務次官の前川喜平は「『バ○は死ななきゃ治らない』とは言わない。学べば治る。賢くなれる。斉藤を当選させた兵庫県民も」と投稿し、タレントのラサール石井は「社会の底が抜けた。兵庫県民の皆さん大丈夫ですか。政治に無関心な人が、選挙に行かなかった人が、彼を当選させた」と綴った。  因みに今回の兵庫県知事選の投票率は2021年の前回選の41.10%を大きく上回る55.65%だったわけで、特に若い層の投票率は上がっていた

        • 『2001年宇宙の旅』は駄作なのか?

           評論家の勢古浩爾が『定年後に見たい映画130本』(平凡社新書 2022.6.15.)において以下のように記している。  「北野武が選ぶベスト10」において『2001年宇宙の旅』は『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ監督 1945年)に次ぐ第2位である。  コラムニストの中野翠は『コラムニストになりたかった』(新潮文庫 2023.2.1.)で以下のように記している。   因みに勢古は1947年生まれ、北野も1947年生まれで、中野は1946年生まれだから同世代なのだが、

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        【小説】親密

          「喜劇」としてのJ・B・プリーストリー『夜の来訪者』

           イギリスの小説家で劇作家で批評家のジョン・ボイントン・プレーストリーが1945年に上梓した戯曲『夜の来訪者(An Inspector Calls)』(岩波文庫 安藤貞雄訳 2007.2.16)は、後に007シリーズを監督したことで有名になるガイ・ハミルトンによって1954年に映画化もされ、その後も何度も映像化されている。  1912年、第一次世界大戦間近のミッドランド地方北部の工場都市ブラムリーにあるバーリング家の食卓では主人のアーサー・バーリングの娘のシーラと、バーリング

          「喜劇」としてのJ・B・プリーストリー『夜の来訪者』

          大江健三郎『死者の奢り』と町山智浩の「読解力」

           最初に断っておくならば、ここでは樋口毅宏の『民宿雪国』には触れない。ただ祥伝社文庫に掲載されている樋口と対談している町山智浩の発言が気になったのである(初出は『映画秘宝』2011年5月号)。  町山は2004年のはてなブログ「アメリカ日記」でも2022年の「X」でも同じことを指摘しており、それらも読んだ上で思ったことを記してみる。  まず最初に『死者の奢り』はノンフィクションではなく、小説でありフィクションである。だから町山は鬼の首でも取ったようアルコールやホルマリンの

          大江健三郎『死者の奢り』と町山智浩の「読解力」

          「Neo Kawaii」の終焉

           日本のガールズバンド「CHAI」は2012年に結成された4人組のバンドで、代表曲として2017年10月17日にリリースされた「N.E.O.」がある。  ところが7人組の女性アイドルグループ「FRUITS ZIPPER」が2024年3月22日に「NEW KAWAII」を配信リリースする。  さらに6人組の女性アイドルグループ「超ときめき♡宣伝部」が「最上級にかわいいの!」を配信リリースする。  「CHAI」にしてみれば私たちの「N.E.O.」は一体何だったのかという思い

          「Neo Kawaii」の終焉

          『炎の肖像』と「ネガティブキャンペーン」

           沢田研二の初主演映画『炎の肖像』(藤田敏八・加藤彰共同監督 1974年)は、今となって観るとストーリーの辻褄が合わない駄作のような感じである。  簡単に筋を辿ってみるならば、冒頭は街中で座っている鈴木二郎(沢田)の周囲にファンたちが群がって沢田に色々と質問した後に、場面が変わって海辺で大喧嘩をした後で一人で舟に乗っている沢田は木刀で殴られ顔面血だらけである。  一人で恋人の小林絵里が待つ部屋に戻ると激しく愛し合い、喧嘩を見ていたという絵里に対して「俺は誰にでも喧嘩を売られ

          『炎の肖像』と「ネガティブキャンペーン」

          東浩紀『訂正する力』を訂正する

           東浩紀が上梓した『訂正する力』(朝日新書 2023.10.30.)は語り下ろしということもあって読みやすいし、「じつは……だった」のダイナミズムという思想はとても説得力がある。  ところで2022年7月の安部元首相銃撃事件の暗殺に関して、「テロは分が悪い賭けです。テロは必ず処罰される。そしてテロで社会が変わるかどうかは、結局のところ結果論でしかわからない。」としたうえで東は以下のように記している。  しかし銃撃事件で安部元首相は亡くなったが、爆発物投擲事件で岸田前首相は

          東浩紀『訂正する力』を訂正する

          阿久悠の時代

           舌津智之の『どうにもとまらない歌謡曲 七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫 2022.6.10.)は2002年に晶文社から刊行された単行本に加筆・修正を加えたものである。個人的には「Ⅱ 越境する性」の「6 ウラ=ウラよ! 異性愛の彼岸」のピンク・レディーの解説が秀逸だと思う。  ピンク・レディーは1976年8月にリリースされたデビュー曲「ペッパー警部」から、2作目の「S・О・S」から連続一位を記録した10枚目の「カメレオン・アーミー」まで作詞を担った阿久悠は女性の地位向上とい

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          松本清張「相模国愛甲郡中津村」と「不運な名前」

           松本清張の中編「不運な名前」は文春文庫『疑惑』に収録されている。内容は1878年頃から起こった藤田組贋札事件の犯人とされ1882年に逮捕された熊坂長庵は本当に犯人だったのかどうかという冤罪の可能性を問うものである(長庵は1886年に獄死している。享年41~42歳)。  しかし実は清張は藤田組贋札事件に関しては既に「相模国愛甲郡中津村」という短編を1963年1月号の『婦人公論増刊号』で発表している(『奇妙な被告 松本清張傑作短篇選』中公文庫 2009.8.25. に収録され

          松本清張「相模国愛甲郡中津村」と「不運な名前」

          松本清張『疑惑』の小説と映画の違いについて

           松本清張の『疑惑』は当初「昇る足音」のタイトルで『オール讀物』の1982年2月号に掲載され、同年3月に文藝春秋から単行本で刊行され、後に文庫化され、さらに映画化とテレビドラマ化もされているから結構人気がある作品である。  ところが小説と1982年9月に公開された野村芳太郎監督による映画はストーリーが大きく変わっている。主人公の鬼塚球磨子と結婚相手の白河福太郎の諍いというベースに変化はないが、球磨子を弁護する弁護士が小説では佐原卓吉という男性だが、映画では佐原律子という女性

          松本清張『疑惑』の小説と映画の違いについて

          翻訳の「正しさ」とは?

           たしか二、三ヵ月前にD・H・ロレンスの短篇小説「薔薇園に立つ影(The Shadow of the Rose Garden)」を読んで、なるほどこういう物語だったのかと納得してそのままにしていたのだが、ここに感想を書いておこうと思って、たまたま図書館で井上義夫訳のちくま文庫版(2010.11.10)で新訳が出ていることを知って「薔薇園の影」を改めて読んでみた。  さすが新訳だけあって読みやすいと思ったのだが、ところで最初に読んだ時に引っかかった点が見当たらないのである。  

          翻訳の「正しさ」とは?

          村上春樹の読者が抱える奇妙な倒錯について

           村上春樹がJ・D・サリンジャーの『The Catcher in the Rye』を訳して白水社から上梓したのは2003年4月で、その後2006年4月にペーパーバックの新書版として出版され現在に至っている。ここでは村上の「文体」ではなく解釈を論じてみたいと思う。  最初に村上が注釈までつけて問題としている箇所を引用してみる。  (野崎孝訳も引用しようと思ったが、「文体」以外はほぼ同じ内容なので止めておく。)  村上春樹はここに注を施している。  しかしここは注意深く読

          村上春樹の読者が抱える奇妙な倒錯について

          小松左京『題未定』と日本のアイデンティティ・クライシス

           小松左京の『題未定』の初出は「週刊小説」1976年8月16日号から10月4日号まで掲載され、単行本は1977年2月に実業之日本社から出版されている(使用しているテキストは1980年3月に上梓された文春文庫版)。  雑誌連載という形式を利用して、締め切りに間に合わず作品の題が決まらないまま見切り発車してしまったという体で書き出されているために、冒頭から「週刊S」の編集部のM君が登場して小松本人に原稿を催促している様子がそのまま描かれている。  そんな時に二ヵ月未来の小松左京か

          小松左京『題未定』と日本のアイデンティティ・クライシス

          『ウォーク・ドント・ラン』とマラソンの相性について

           大体作家の対談本は文庫化されるものだが、何故か1980年7月29日と11月19日の二度に亘って行われ、1981年7月20日に上梓された村上龍と村上春樹の対談本『ウォーク・ドント・ラン』は現在に至るまで文庫化されていないから、読むならばネット上でなかなかほぼ入手不可能なレベルで高額で取引されているから図書館で借りるしかない。  個人的に興味深い発言をとり上げてみようと思う。最初に春樹の発言である。  さすが村上春樹は自身の特長を良く分かっているとしか言いようがないのだが、1

          『ウォーク・ドント・ラン』とマラソンの相性について