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松本清張『疑惑』の小説と映画の違いについて

 松本清張の『疑惑』は当初「昇る足音」のタイトルで『オール讀物』の1982年2月号に掲載され、同年3月に文藝春秋から単行本で刊行され、後に文庫化され、さらに映画化とテレビドラマ化もされているから結構人気がある作品である。

 ところが小説と1982年9月に公開された野村芳太郎監督による映画はストーリーが大きく変わっている。主人公の鬼塚球磨子と結婚相手の白河福太郎の諍いというベースに変化はないが、球磨子を弁護する弁護士が小説では佐原卓吉という男性だが、映画では佐原律子という女性に変えている。そのことで文脈が大きく変わっているということを書いてみようと思う。

 小説におけるメインテーマは「偏見」なのだと思う。鬼塚球磨子という名字の印象から悪いことをする奴と決めつけられ、さらに前科4犯もあり、ヤクザと関わりのある貧しい身分の若い女性が、資産家である福太郎と結婚したのみならず、巨額の生命保険を夫にかけていたという事実がますます球磨子を犯人のように見せてしまうのである。そしてそれはまさか新聞記者がそのようなことはしないだろうと思い込んでしまう弁護士の佐原卓吉の偏見にも当てはまるのである(だから何故この作品が当初「昇る足音」だったのかは小説を読んでいる人には分かり、映画しか観ていない人には分からないのである)。

 弁護士を男性から女性に変えた映画版はメインテーマが変わっていると思う。鬼塚球磨子が偏見を持たれていることに変化はないものの、福太郎に懇願されて結婚したのに、結局加害者ではなく被害者であった球磨子でも白川家に居場所はなくなったのだが、それは弁護士の佐原律子も同様で、離婚の条件として月に1度娘のあやこと会うことを楽しみにしていたのだが、前夫の片岡哲郎の再婚相手の咲江に、二度とあやこに会わないで欲しいと懇願され、黙って律子が受け入れることで、身分も生活環境も全く違う球磨子と律子はラストで近親憎悪し合うように見えるのである。

 今一つ分からないことは、このメインテーマの変更が「脚色」を担った松本清張によるものなのか「脚本」を担った古田求と野村芳太郎によるものなのかなのだが、ウィキペディアを読む限り清張には分かっているような感じである。