「喜劇」としてのJ・B・プリーストリー『夜の来訪者』
イギリスの小説家で劇作家で批評家のジョン・ボイントン・プレーストリーが1945年に上梓した戯曲『夜の来訪者(An Inspector Calls)』(岩波文庫 安藤貞雄訳 2007.2.16)は、後に007シリーズを監督したことで有名になるガイ・ハミルトンによって1954年に映画化もされ、その後も何度も映像化されている。
1912年、第一次世界大戦間近のミッドランド地方北部の工場都市ブラムリーにあるバーリング家の食卓では主人のアーサー・バーリングの娘のシーラと、バーリングと同業のサー・ジョージ・クロフトの息子のジェラルドとの婚約を祝っている。
そこに現れたのがグールという名の警部で、ほんの二時間前に強力な消毒剤を飲んで自殺した女性に関して訊きに来たのである。当初は知らない女性だと言っていたアーサーのみならず、妻のシビルも、娘のシーラも、息子のエリックも、ジェラルドさえも何らかの関わり合いがあることが判明し、彼らの対応によって娘が自殺したことが明らかになり、道義的責任を問われることになるのである。
もはやスタンダードのミステリーと言って良いと思うのだが、今改めて読んでみるならば、これは父親のアーサーが仕組んだ「罠」のように思えなくもない。
アーサーは以下のように述べている。
しかしやって来たグール警部が「デイジー・レントン」という名前を出すと、ジェラルドの様子が一変して白状する。
自殺した女性に関して全員脛に傷をもつのではあるが、浮気はシーラとジェラルドの問題としてもはや消し去ることができない事実で、ジェラルドの浮気を知った父親のアーサーが娘の婚約を破棄させるために、大芝居を打ったと捉えられないこともないと思うのである。