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『ウォーク・ドント・ラン』とマラソンの相性について

 大体作家の対談本は文庫化されるものだが、何故か1980年7月29日と11月19日の二度に亘って行われ、1981年7月20日に上梓された村上龍と村上春樹の対談本『ウォーク・ドント・ラン』は現在に至るまで文庫化されていないから、読むならばネット上でなかなかほぼ入手不可能なレベルで高額で取引されているから図書館で借りるしかない。
 個人的に興味深い発言をとり上げてみようと思う。最初に春樹の発言である。

 僕の場合は何かを破壊したいという気持はあまりないんですよ。どちらかといえば、何もかも放っておいて自然に崩れていくんだって気持の方が強い。社会も価値基準も、何もかもさ。そんなもの、僕の手をわずらわせるまでもない。人はいつか死ぬんだもの、殺すまでもない。政府が気に入らなくたって、いつか崩れる。気に入らない小説は読まなきゃいいし、気にいらない番組は観なきゃいい。……要するに主体的にかかわろうという気持がないんですよ。
 もちろん昔からそうだったわけじゃなくて、それなりにガックリすることもあったけど、もういいやって気持になったのね。つまり何かを見るから、何かが存在するわけで、見ないようにすれば何も存在しない。限界はあるけどね。結局のところ、僕が書いていきたいのはそんな限界の部分かもしれないとも思うよね。

『ウォーク・ドント・ラン』p.81

 さすが村上春樹は自身の特長を良く分かっているとしか言いようがないのだが、1995年に起こった阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件での惨状を目の当たりにし、「コミットメント」せざるを得なくなった。もしもそれほど売れていなかったら「デタッチメント」のままでいたかったのかもしれないものの、春樹は以下のようにも言っている。

春樹 ぼく、この前、シャロン・テート殺しというのがあったでしょう、マジソンの。あれ、ロバート・ホーソレイユというのがね、テートの腹さいたわけだ。トゥルーマン・カポーティが刑務所に彼をインタビューに行くわけ。自分のやったことどう思うかというとね、彼はどうも思わないというのね。で、何といったかというとね、what happened is all good というの。起こってしまったことはみんなよいことであるというのね。何となくわかるような気がしたのね。罪悪感というのはまるでないのね。
 うん、そう。
春樹 what happened is all good ー それでその次は、時はそのように流れるといってるわけよ。何となくね、わかるような気もしないではない、腹をさくというのはもちろんいけないことではあるんだけど、何となくね、ぼくもそういう気がするのね。だからまったくぼくはね、むかしのことはあまり思い出さないの。後悔というのはしたことがないんですよ。不思議な性格だけど。ああすればよかったとは絶対思わない。

『ウォーク・ドント・ラン』p.140-p141

 つまり1995年を境に春樹の信条はブレ始めたような気がするのだが、それはそれぞれの作品の出来の良し悪しとは別なのかもしれない。

 『文學界』1980年9月号に掲載された春樹の『街と、その不確かな壁』に関して龍が的確なことを指摘している。

 表地と裏地みたいな関係が、常に作家にはあると思うんですよ。ぼくはだから『ブルー』書いたあとに『海の向こうで戦争が始まる』みたいなものをね、ぼくの側としてはそういうふうに書いたんですよ。(……)ぼくは裏地としての『街とその不確かな壁』の続編とかね、あれに類するものをもっともっと書いたほうがいいと思うんですよね、ぼくは、あれだけじゃちょっと弱いし、下手すると見すかされるんじゃないかという気がするんです。もっ違うんじゃないかってぼくは思っているんですけどね。
(……)
春樹 ぼくはいまの予定では『壁』の話を少し作り変えてね、あれにコラージュみたいな、そういうものいっぱいくっつけて、それでまとめたいなという気はあるんです。そういうのは時間がかかると思うのですよ。

『ウォーク・ドント・ラン』p.105-107

 言うまでもなく春樹はようやく去年長篇小説として『街とその不確かな壁』を上梓した。

春樹 ぼくはね、たとえばだれとでも寝る女の子っているわけじゃない、そういう女の子と寝るというのはものすごく落ち着くのね。むかしからそうだったんだけど。
 あ、ものすごいですな。
春樹 どっちかというとね、好きな女の子と寝るというのはさ、どうも落ち着かないのは、むかしから、不思議だな。

『ウォーク・ドント・ラン』p.96

 あの『限りなく透明に近いブルー』の作家がドン引くほどのモテモテ振り(猟奇的?)であるが、これも春樹の作品の主人公のキャラに反映されているといえる。

 (……)そういうことが小説のパワーじゃないかなと思うわけ、ぼくは。読む人にとっては、ハッとしてグーじゃないけどさ。
春樹 な、なんですか、それは(笑)
 ハッとするもの、やっぱり。で、いいと思うものね。

『ウォーク・ドント・ラン』p.135

 完全にスベり倒してしまった直後に急いで取り繕っている龍のフォローをするならば、「ハッとしてグー」というのは田原俊彦が1980年9月21日にリリースした曲のタイトル『ハッとして!Good』から来ているのだが、ジャズしか聴かない春樹にはピンとこなかったのである。

 このように今でも春樹の小説を理解する上で十分に読み応えのある『ウォーク・ドント・ラン』が文庫化される日がいつか来るのだろうか?