松本清張「相模国愛甲郡中津村」と「不運な名前」
松本清張の中編「不運な名前」は文春文庫『疑惑』に収録されている。内容は1878年頃から起こった藤田組贋札事件の犯人とされ1882年に逮捕された熊坂長庵は本当に犯人だったのかどうかという冤罪の可能性を問うものである(長庵は1886年に獄死している。享年41~42歳)。
しかし実は清張は藤田組贋札事件に関しては既に「相模国愛甲郡中津村」という短編を1963年1月号の『婦人公論増刊号』で発表している(『奇妙な被告 松本清張傑作短篇選』中公文庫 2009.8.25. に収録されている)。
「相模国愛甲郡中津村」においては主人公(清張?)が神田の古書店でたまたま知り合った老人と言葉を交わすようになり、やがてその老人は藤田組贋札事件で犯人とされた熊坂長庵の曾孫だと名乗り、熊坂長庵の本名は中村久太郎だとして、実際に贋札事件の影の首謀者である大隈重信から届いた大隈独特の乱筆の手紙を20通以上も示したのである(オチは書かないでおく)。
それでは何故清張は1981年2月号の『オール讀物』に同じ題材で小説を書くことになったのか勘案するならば、18年経った間にさらに新たな資料が見つかったために、改めて世に問う形になったのではないかと思う。実際に主人公でノンフィクション作家の安田平太郎の「不運な名前」にまつわる部分は上に引用したモノローグだけで、後は歴史書や資料を駆使した検証に終始している。そのためだと思うが、ミステリー小説として完成度が高いのは「不運な名前」よりも「相模国愛甲郡中津村」の方だと思うのである。