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それほど人付き合いに優れていなかった僕には、子供の頃からの友達が一人いる。
親が友達同士であったせいもあり、親が通っていた教会が同じだったこともあり、生まれて間も無くから友達であった。友達になった、のか、それとも友達として生まれたのか、よく見当がつかない時もある。
しかし、大学に進学するころから、顔を合わせることが少なくなった。
よく人は言う。何の連絡も取り合わずにいても、ひさびさにあっても
アフガンの撤退に対するTBSの報道を受けて
2021年8月31日。アメリカが20年に及ぶ戦争を終わらせ、アフガニスタンに滞在していたすべての軍を撤退させた、との報道があった。TBSの報道は驚くべきに平易で、愚かなものであったように感じる。そもそもの期待値もなかったが、その愚かさには驚愕せざるを得なかった。
2001年の9・11テロに対するほぼ仕返しに近い侵攻は、当地にあるある団体を支持し、彼らに政権を握らせるためであった。アメリカが支
デリダにおける「現前」
ポスト構造主義、いや少なくともJacque Derridaを勉強するためには、「現前」という単語について知らなくては何も進まない。
青土社の「現代思想ガイドブック」シリーズの『デリダ』に置いて、著者であるニコラス・ロイル氏は、デリダの思想における鍵観念の提示を拒否する。なぜなら、その鍵観念というものをデリダのものとして、あるいは確固たる概念として規定してしまってはいけない、と考えるためのよう
「わかる」「わからない」
”ところで最近、いろいろな場面で「分かる」「分からない」という言葉を耳にする。『ナヌムの家』の上映やそれにともなう討論のなかでも、そんな言葉がよく交わされた。はたしてわれわれに「従軍慰安婦」であることを強いられたハルモニたちの「痛み」がわかるだろうか、というコンテキストにおいてだ。もちろん、「被害者」に安易に感情移入して──あるいは感情移入できた気になって──彼女たちの代弁者として語ってしまうこ
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