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かわいい父と激しい母と私の介護日記

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ウチの父はとてもかわいいです。その父が突然介護4になりました。これは介護に翻弄される、強い母と私の日常の記録です。
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#前立腺肥大

かわいい父と激しい母と私の介護日記(20)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(20)

さらなる試練

尿路感染から、敗血症へ。でも抗生物質の治療で効果が出てきて、安心し始めた頃。
「朝、お父さんから電話がきて、おしりから血が出て、ご飯食べてないって言うの。」と母が言う。
「えっ?せん妄じゃない?そんな事があったら病院から連絡くるでしょ?痔とかかなぁ?」と私。
「でもね、外科の先生が今日は休みで、とか言うから本当かも?」と母。
父の担当医は泌尿器科だから、通常外科は関係ないはずだけど

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(19)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(19)

再び入院生活

尿路感染でまた入院してしまった父。
今回は、血液検査で強い菌が見つかったとの事。抗生物質の投与をして、2週間程度の入院予定となった。

そして再びせん妄が始まり、拘束をすることになった。
今回は、さらにせん妄が激しい。
携帯からいろいろな人に、訳のわからない電話をかけまくっている。
私にも、「まだ退院出来ないから、今日の会議は中止にして。」と電話が来た。父はとっくに仕事は引退してる

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(18)

介護認定が出た

支援1だった父。新たな認定はまさかの介護4だった。入院中の認定調査は重くなりがちと聞く。すぐにケアマネも決まった。

けれど父の状態はいまいち。日曜日は、ほとんどベッドから出られなかった。
心配した母が、「病院へ連れて行こうかな。」と言う。私も考えたくないけど、尿路感染している気がしていた。
「明日午前中仕事休んで、一緒に行くよ。」と決めた。

次の朝。実家へ行くと母が困っていた

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(17)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(17)

退院した父は、入院中にバルーンカテーテルを外した。カテーテルが詰まってしまい、外したところ自尿が出ているので大丈夫そうとの事だった。
これで尿路感染の心配もなくなり、体力さえ回復すれば、以前のように畑に通えるようになる。そうほっとしたのは数日だった。

退院から10日くらいした頃。父が病院に行きたいと言う。おしっこがあまり出ないので、ツライらしい。またカテーテルを入れたいと言う。
泌尿器科に受診に

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(16)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(16)

家に帰ってきた!

病院から10分くらいで、家に着いた。
家の横に車を付ける。
先に到着していた母が、車のドアを開ける。
父がなんとか車から降りた。前回はそのまま脱力して動けなくなったんだ。

緊張の一瞬・・・大丈夫そうだ。父は立っている。

続いて第2関門。
我が家は集合住宅で2階なのだ。
階段を上らないと家に帰れない。
すると、隣のおじさんが声が聞こえたのか、出て来てくれた。
待機していた私の

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(15)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(15)

父の闘病生活

退院した父が車酔いしないよう、入院生活を聞いたのだか、父はたくさん話してくれた。 

始めに入院した市立の病院で拘束された時。
父は「人の自由を奪うなんて、警察に通報する。」と怒ったそうだ。
「看護師さんはね、お父さんの命を守るためにした事なんだよ。」と、私が言う。
「そう。後で看護師さんかそう言った。縛る前に言ってくれたら良かったのにって言ったら、謝ってくれた。」と父。
せん妄状

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(14)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(14)

父の入院生活

父を迎えに行った病室で、私と母はナースさん達に「ご迷惑をお掛けしてすみません。」とお詫びする。
「最初は私もぶたれまして。」とナースさん。やっぱり父は暴れたんだ。本当に申し訳ない。

すると母が、「私が言うのも何ですが、普段は穏やかで、私に手を挙げたことないんですよ。」と言った。父のことをかばうみたいに。母には言えないけど、ちょっと泣けた。
「そうですね。今は穏やかに楽しくお話して

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(13)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(13)

緊急退院?

介護の認定調査で、現状の父の様子が少し分かった。心配していた歩行は以前より落ちているが、歩けること。せん妄がまだあること。せん妄は、退院すればなくなるはず。

もう1つ、大きな変化は尿道に入っていたカテーテルが取れたこと。入院中にカテーテルが詰まってしまい、外したところ自尿が出でいるので、そのまま様子を見ているそうだ。

これなら、父はこれまで通り家で暮らせる。
と、思っていたら土曜

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(12)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(12)

認定調査

週末になり、父はせん妄が出て拘束することになった。病院から、現在支援1だが認定調査をした方が良いこと。現状自宅に帰るのは難しい。退院後は病院の系列のリハビリ専門病院へ移ることをすすめられた。

母はすぐに包括に連絡し、来週病院に、認定調査委員が来ることになった。
転院については、来週始まるリハビリの様子で考えると伝えたそうだ。

そして、翌週半ば、認定調査が行われた。
母と私も立ち会わ

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(11)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(11)

せん妄と拘束

入院して4日たった。担当医と面談をする。
先生の話によると、父は特に異常もなく治療もない。現在は様子見のため、入院してからまだ1度もベッドから出てなくて、寝たきりらしい。
「退院はいつ頃ですか?」と母。
「3週間後かな?」と先生。
「えっ?3週間?」と聞き返すと、
「治療がないので、それ以上は無理ですよ。後は、リハビリのある病院かな。」と先生。

違う!早く退院させたいのだ。3日間

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(10)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(10)

家に帰れない

あんなに帰りたがって、やっと退院したのに、父は家の前で1歩も動けなくなり、家に入る事なく再び入院した。

自分が旅行に行っていたのを棚にあげて、私は母を攻めてしまう。
「病院側から歩けなくなったとか、事前に言われなかったの?」
「お母さんの運転が荒いから、車に酔っちゃったんじゃない?」等々。
父は車に酔いやすく、母は性格と同じで運転が激しいのだ。

母いわく、病院側からは歩行の事は

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(9)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(9)

再び入院

私が旅行に行ってる間、父の退院が決まった。予定よりも早い。父があまりに、家に帰りたいと訴えるので、まだ菌が少し残ってるけど・・と決めたそうだ。
退院は私の帰宅する日。でも、夜に帰宅するので迎えに行けない。
「1人で大丈夫?」と母に聞く。「別に。大丈夫だよ。」と母。今年3回目の退院で、私達は慣れていてた。

ところが!!
夕方飛行機をおりて、スマホの機内モードを解除したとたん、母からの着

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(8)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(8)

入院中のせん妄と拘束

病院からせん妄が出て、拘束したと連絡を受けても、家族はコロナ渦で面会も出来ず、全く状態が分からない。後でわかったが、実際かなり暴れて危険だった様子。

老人ホームでは、拘束はとても慎重だ。
拘束委員会をひらき、三原則を元に話し合って拘束を決める。

でも病院の最大の目的は治療で、老人ホームとは違うのかな?コロナ渦で人員も不足なのかな?父の命を守るためだから、かわいそうだけど

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かわいい父と激しい母と私の介護日記(7)

かわいい父と激しい母と私の介護日記(7)

父の入院

日曜日の深夜から、月曜日へ日付が変わる頃、市立の病院に2週間程度入院することになった父。
ドクターから説明を受けたあと、衝撃の入院の手続きが始まった。

拘束の同意書
高齢なので、入院するとせん妄が起きることがある。危険な場合はご家族の拘束の同意が必要です。深夜にせん妄が出て、ご家族に連絡するのはご迷惑と思うので、あらかじめ同意書にサインを、と言われる。

延命治療
救急車で搬送された

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