まひるのねいろ

父の介護のため退職したが、父は他界してしまい現在求職中。読書、音楽、ダンス好き。やりたい事がたくさんあって忙しい毎日です。

まひるのねいろ

父の介護のため退職したが、父は他界してしまい現在求職中。読書、音楽、ダンス好き。やりたい事がたくさんあって忙しい毎日です。

マガジン

  • かわいい父と激しい母と私の介護日記

    ウチの父はとてもかわいいです。その父が突然介護4になりました。これは介護に翻弄される、強い母と私の日常の記録です。

最近の記事

おばちゃんは在宅勤務へ挑戦する【2】

求人検索してみよう 大手の求人サイトへ個人情報を登録し、なんとか様々な求人を閲覧することができるようになった。 求人は驚く程にたくさんあった。 この中から、自分の条件やスキルにあった求人を見つけるのも 大変な手間がかかる。 条件を絞って検索しているのに、うまく絞れないのが最大の原因だ。 在宅勤務を希望しているのに、通勤エリアを入れないと検索できなくて、 仕方なく入れると近隣の求人しかヒットしない。 年齢不問と入れても、「20~30代活躍中」と記載されていて、 おばちゃん応

    • おばちゃんは在宅勤務へ挑戦する【1】

      私が在宅勤務を目指す理由 最近退職をした。 別に仕事が嫌だったわけでも、職場の人間関係が嫌だったわけではない。 どちらかといえば、とても居心地のよい職場だった。 父が在宅介護になり、正社員の私は拘束時間の長い職場を諦めて 父の介護を手伝うため退職を決意した。 いわゆる介護離職だ。 ところが退職を前にして、父は娘に悪いと思ったのか早めの他界。 職場では後任の方も入社して、引き継ぎの真っ只中。 とても余分な人員が必要な部署ではないし、元気ではあるが 家には高齢の母もいる。ま

      • やったもん勝ち!

        いつかやってみたいな、でも・・・。  人間生きていれば、自分の好きなこと、嫌いなこと。 得意なこと、苦手なこと。やりたいこと、やりたくないこと。 人によって様々なものに出会い、感情を揺さぶられる。 すべて自分の思い通りに選択して、好きなことだけ、やりたいことだけ で生きて行ければ幸せだけど、時間やお金や様々な要因で自分の思いは 後回しになってしまう。 私の場合はダンス。子供の頃は披露する場面があれば、大人が褒めてくれた。私ってダンス得意かも?と思っていたが、残念ながら私の

        • かわいい父と激しい母と私の介護日記(最終回)

          お別れの日に 朝、父の様子を見に行く。まくらに掛けているタオルに、少し血のような物が付いている。 「なんか、まくらに付いてるよ?」と母に聞くと、「首のところの傷かなぁ?後で看護の人が来たら診てもらう。」と母。 ふと横を見ると、補聴器が置いてある。 「入れなくていいの?」と母に聞く。「だって、ずっと寝てるから。入れてもねぇ。」と言う。 「刺激があった方が、起きるかもしれないよ。入れとくね。」と父の耳に補聴器を入れて、仕事に出かけた。 仕事が終わって、父の様子を見に行く。

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        • かわいい父と激しい母と私の介護日記
          35本

        記事

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(35)

          父がいなくなったら 父はずっと眠っている。大きな声で呼ぶと少し目を開けるが、焦点が合っていない。 お通じは毎日あるので、オムツ交換するが無反応。以前のように「寒いっ!」と怒ってくれず寂しい。 ある日、訪問看護がバイタルを測定すると、血圧が低い。血中酸素は測れないとの事で、往診医に連絡をした。 すぐに往診医が来て状態を診てくれた。 「あと、1〜2週間です。」との診断で薬の点滴も、体内に溜まるだけとの事で外して、栄養補給の点滴だけになった。 仕事から帰って母から話を聞い

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(35)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(34)

          葬儀の事前相談 あと、2〜3ヶ月くらい。父の寿命だ。 母も私も覚悟している。 「葬儀屋さんに行って、今のうちに準備をしておきたい。」母が言った。まだまだそんな事、考えたくない私。 「私、行かない。兄ちゃんと2人で行って来て。」 「そんな事言わないで、一緒に来てよ。家族みんなで相談することでしょ!」 さすが、母は肝が座っている。現実を受け止められない私は、葬儀なんて出ないで旅行に行って、逃亡したいと思っている。 ウチの残念な兄だけでは不安という母の説得により、仕方なく葬

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(34)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(33)

          ターミナルケア 父はとうとう食事もとらなくなり、水分もスプーンで少しづつ、口に入れる程度になった。 ドクターの集中治療も、あまり効果が出なかった。もしかしたら、何処かに癌があるせいかもしれないが、検査や治療をする体力はもうないとの事だった。 今後の治療について、点滴に入れる薬の変更をして、少しでも腎臓機能の回復を促す事。引き続き点滴での、水分栄養補給。家族の選択が求められた。 ドクターは母を心配している。栄養補給の点滴を外したら、10日程度と思われる。外さなくても2ヶ

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(33)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(32)

          介護の限界 「腎臓の機能が低下しています。」 往診医よりお話があった。 週に2回の入浴と、リハビリは中止になった。体力を消耗してしまうそうだ。 父は、よく来てくれるナースさんに、「もうダメかなぁ。」と弱音を言い出した。 母にも「長い間悪いなぁ。ありがとう。」と言ったそうだ。 母がとうとう言った。 「もう限界。」 訪問のナースに、「もう入院ぐらいのレベル」と言われたそうだ。みんな母の負担を心配している。 「オムツ交換もあちこち管がついてて怖いし、たん吸引もある。何か

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(32)

          介護グッズ

          介護用品ってどこに売ってるの? 父の在宅介護が始まって、とても強く感じたこと。介護用品の売り場が少なくて、選択肢が少ないこと。 ●介護が始まって必要となった消耗品。 オムツ・パッド・おしり拭き・使い捨てグローブなど これらは、ドラッグストアで購入出来る。 でも、ポータブルトイレの排泄袋や、浸出液を吸収するパッドなど、購入者が少ないものは、見つけるのは大変だ。 ●消耗品ではない介護用品 車イスやポータブルトイレ、杖や介護用の靴。介護用の着替えさせやすい衣類、陰洗ボトルや

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(31)

          発熱の後遺症 今後の方向性が決まって、車イスに乗れるよう、立ち上がる練習を始めることになった父。その直後、久しぶりに発熱した。 幸い熱はすぐに下がったが、1日中眠っている。食事を摂らないと体が弱ってしまうので、無理矢理起こして食べさせる。 三口くらいで、「もう、いいよ。マズイっ!」と怒る。かわいかった父が、ぶりぶりと怒ってばかりいる。全然かわいくない。 特に母には甘えて、全然食べない。 私が、「ご飯食べないと、車イス乗れないよっ!」と怒ると仕方なく少し食べる。 昼間眠

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(31)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(30)

          ケア会議にて 父は毎日ベッドで過ごしている。テレビで野球や相撲を見る他は、退屈そうにしている。 そんな中、父の介護スタッフの方達より意見を頂いた、ケア会議が行われた。 今後の方向性を決める会議だ。 それぞれの思いを出し合う。 父→歩ける様になりたい。施設に行きたい訳ではないが、皆に迷惑かけたくないので、何でも挑戦したい。 母→歩ける様になって欲しいが、無理なら環境を変えてあげたい。時々ショートスティやデイサービスを利用して、楽しく過ごして欲しい。本人が気に入れば施設入

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(30)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(29)

          寝たきりの父に出来ること 父の状態は安定している。バルーンはついているし、体のむくみもある。多少のせん妄はあるけど、介護スタッフの方や往診医のおかげで、落ち着いて暮している。 こうなると、父は毎日退屈そうだ。もともと趣味が、仕事と畑を作ること。どちらも寝たきりでは難しい。 何かベッドでも出来る事はないかと探す。友だちがデイサービスで働いているので、計算ドリルや点つなぎ、クロスワードなどのプリントを送ってくれた。父に渡してみるが興味なし。 本を読んだら?と母に勧められて読

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(29)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(28)

          施設という選択 「お父さん、このままでいいのかな?」 母が言った。 「施設とかに入った方がいいのかも。」 あぁとうとう来たか、この話。 母はやっぱり父の介護が負担なんだ。 私は父がかわいいので、自宅介護したいのだ。と、言っても正社員の私はほとんど仕事で、母に任せきりだ。でも、父を施設に入れたくない、施設で働いていた私なりの思いがある。 でも、母の施設に入れる理由は、意外なものだった。 このまま、部屋にずっと寝たきりなんて、父が可哀想だから。 施設なら車イスで移動出来たり

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(28)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(27)

          母の転倒でわかったこと 日曜日のある日。自分の用事をすませて昼過ぎに、父の様子を見に行く。 すると母が、「今日午前中に、畑で転んじゃって、右手を打ったみたい。」 と腕をさすっている。 「えっ!大丈夫?痛いの?」と私。 「痛いけど、腕も指も動くから骨は大丈夫だし、そのうち治るよ。」と母。 本当かな?なんだか怪しい。 母はとても我慢強い。弱音を吐くのが大嫌いなのだ。 「病院行かなくて大丈夫?」 「大丈夫!!」 夕方、もう一度様子を見に行く。 「どう?治った?」 「ズキズキす

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(27)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(26)

          再びせん妄へ しばらく落ち着いていた様子の父だか、再びせん妄が現れた。 近所に、自分の経営するお店を建設中という妄想と、外を歩いたという妄想。 母は、なんとか現実に戻そうと父の妄想を詰める。 「お店どこ?そんな土地あるの?」母。 「近所の人に借りたの。」と父。 「へぇ〜なんて名前の人?」母。 「忘れちゃった。」困る父。 「土地借りてる人の名前もわからないなんて、おかしいでしょっ!」母キレる。 「忘れる時もあるでしょ!もーっお母さんとは、この話しないっ!」泣きそうな父。

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(26)

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(25)

          訪問医がやって来た 父が要支援1から介護4になって、大きく変わったことの1つ。 訪問医の登場だ。 父は内科と泌尿器科を総合病院。 パーキンソン症候群を個人病院。 ペースメーカーを循環器専門病院。 住居が2階の我が家からの通院は、歩行困難な父には、苦行であり危険な時もあった。 しかも、待ち時間も長くて何時間も座っていると、かなりぐったりしてしまう。 父はカワイイので、一生懸命歩いていると、見知らぬ人が応援してくれたり、混んでいる待合室でも、いろいろな人が席を譲ってくれる。

          かわいい父と激しい母と私の介護日記(25)