IKTTクメール伝統織物

IKTTは内戦で途絶えかけてしまったカンボジア伝統絹織物の復興、再生に取り組むカンボジアの現地NGO。1996年日本人男性の森本喜久男(1948-2017)によって設立された。ここでは布制作にあたってのストーリーなどを記録していく。

IKTTクメール伝統織物

IKTTは内戦で途絶えかけてしまったカンボジア伝統絹織物の復興、再生に取り組むカンボジアの現地NGO。1996年日本人男性の森本喜久男(1948-2017)によって設立された。ここでは布制作にあたってのストーリーなどを記録していく。

最近の記事

人間が手で作るものには、その人の魂が込められる

まずは、本題に入る前に、一言。 一体どこに行ってるんだ観光客の皆さん!!!! と、いう事で、閑散期のカンボジア。毎年この時期は来客数もググッと減るのですが、今月はまずい。本当にまずい。焦ってます。私。 カンボジア観光統計報告書によると、2024年上半期のカンボジアへの訪問客数は約315万人。予想よりも多くの観光客が来ているそうで、今年はコロナ前の2019年の統計660万人に迫る勢いらしい。。。 ほんとかよ シェムリアップ市内は閑散としてるぞ!!!と、私だけが思ってい

    • 奇妙な雰囲気の絣

      会いたい!これ作った職人に会いたい!と、私を興奮させたこのデザイン。 実物を拝むことは出来なかったが画像でも良い意味での奇妙な雰囲気がプンプン漂っていて、一瞬で「次これ」と決定した。正直、カンボジア人のお客様のオーダーが多く入っていたが、パズルのようなスケジュールを天才的に組み直し、華麗なる入り込み成功。生産管理を担う者の特権でもある。そして括り手を呼んで、 「(推しの)ねっちゃん、次これね!」 「???」 いつもなら画像を見ながら打ち合わせに入るが、彼女はしばし画像

      • カンボジアの染織り ラックの赤

        「自然は常に変化し、自然を相手にしている私達の仕事は本来マニュアル化することは出来ない。」 と、いう事でここでは主に、「染め」について書いていこうと思う。というのも「染め」は布の仕上がりに大いに影響していると感じているからだ。また、布の種類や織りについては調べようと思えばネットで簡単に検索できるが、染めについては簡単に説明出来ない部分も多い。  カンボジア伝統絹織物において特に欠かせないのがラックカイガラムシの巣から抽出した赤。実際には、ラックカイガラムシの巣の中にいるメ

        • 「カンボジアに村をつくった日本人」の「アシスタントだった日本人」からみえたこと

          IKTTには様々な方が訪れる。京セラ創業者である稲盛和夫さんもその一人。森本に会いに伝統の森に訪問されたそうだ。 「伝統の森にはこれまでいろんな方に来て頂いております。経営の神様と言われる稲盛和夫さんも、そのお一人。私の本を読まれ、興味をお持ちいただき、現場を訪ねたいと思われた。お忙しい中で訪ねていただいたそのお心が嬉しく、とても励ましを頂きました。感謝」 (森本喜久男FBより)  稲盛さんが来られた事で、経営者の方々が伝統の森に来るようになった。ある日のこと、伝統の森を

          黒く汚れた雑巾のような布

          今回復元した布は、Morimoto collectionの中でも生地自体がとても薄くなっており、状態の悪い布。でも、その美しさと仕事の細かさは一際目立っていた。この古布についてのストーリーは森本さんから直接聞いていたので私自身知っていたが、改めて森本さんのFBを探したら、これについての文章が書かれていたので皆様と共有。 わたしの愛するクメール絣コレクションの古布のなかでも、思い出の一枚。 95年、ユネスコの織物調査の頃、プノンペンの国立博物館のそばにあったアンティックの店。

          黒く汚れた雑巾のような布

          IKTTにあの方が来たってよ

          IKTTがカンボジアの超富裕層界隈で着々と有名になり始めたのはいつからか。考えてみればコロナが始まってからのような気がする。 2021年後半頃、文化芸術省から大臣が伝統の森とショップに来てくれた。その頃から経営者や著名人、ブライダル関係者などなど、少しづつその輪が広がっていった。今でも多くのオーダーが入っており、括り手のSOY SOKIANGやSEAK HOUY、CHHOMなどはオーダーの制作分で来年まで埋まっている。最近は若手のSREY NECHの成長が素晴らしく、オーダ

          IKTTにあの方が来たってよ

          IKTTは「点」である

          IKTTを設立するにあたり、わたしがミッションとしたのは 「カンボジアの伝統的な織物を、当時の技術を会得しているおばあ達の協力により復元しながら、現在の養蚕、織物産業の再生に寄与し、カンボジアの若い世代の織り手や専門家を育てていく」 ということであった。 (カンボジアに村をつくった日本人 P100より/白水社) 先日、シェムリアップのショップスタッフからSNSにUPされた一本の動画を見せられた。そこに映っていたのは、括りをするカンボジアの職人の姿。そしてその職人は昔IK

          IKTTは「点」である

          棺をのせたナーガ〜カンボジア版 死への準備〜

          かろうじてまだ息はあるが、死にゆく準備が着々と進められていた。 伝統の森でお客様の料理を作っているペアの母親。彼女もまた職人。病気を患い、自宅と病院を行ったり来たりしていた。今回は2021年8月ペアの母親の最後の3日間の話。ご興味のある方はどうぞ。 ※お婆→ペアの母親 ※村人→伝統の森の職人 アチャー(祭司)が主導し様々な供え物を作る。村人達は慣れているのかアチャーからの指示で手際よくそれらを作っていた。目の前にはもう数日ももたないだろうお婆が横たわり、お線香の匂いが漂

          棺をのせたナーガ〜カンボジア版 死への準備〜

          死への準備

          私は朝、昼、晩、森本さんと一緒に食事をさせてもらっていた。ある日のこと、いつものように夕食の準備を手伝うために森本さんの家に向かった。森本さんのデスクの前を通ると、声をかけられた。 「市内の店と工房を閉めようと思うんだ」 2016年末頃のこと。つまりそれはシェムリアップ市内の2拠点を無くすという事。とても急な話しだった。 市内には約60名のスタッフ、長年ここを支えてきた重鎮達も多い。以前、森本さんに数年分の収支を見て欲しいと頼まれた事があった。その頃森本さんは事務的な事

          職人とブランドディレクターの溝

          みなさん、ストライキを受けたことがありますか?笑 当時は笑い事ではなかったが、今思えば職人達から受けたストライキ的な態度がIKTTにとって良い未来をもたらせた事は間違いない。 森本さんが亡くなってから、順調に事が進んだ訳ではない。 当時、ずっと気になっていた事があった。仕事の音がどんどん聞こえなくなっていた。私の部屋は工房からとても近く、部屋の中でも仕事の音が聞こえる環境だ。しかし当時、糸グルマの音、染料を石臼で砕く音、織り機の音、いつも聞こえてきた仕事の音が聞こえなくな

          職人とブランドディレクターの溝

          伝統とモダンの融合の危うさ

          思わぬ事から新しい布が生まれる事がある。 新しいタテ糸をセットした織り手に呼ばれ織り機に向かうと、タテ糸に問題発生。少しだけ織ってもらうと、くっきりとストライプ状に模様が浮き出てきた。何色で織っても結果は変わらず、ストライプ状に模様が浮き出てしまう。 こりゃ、普通の布は織れないな。。。 これはちょっとした勘違いから発生した問題であり、普通は発生しないこと。起こってしまった事は仕方ないが、さて、30m分のタテ糸をどうするか。。。 逆にこのストライプ模様を生かせば良いと思い

          伝統とモダンの融合の危うさ

          復元不可能??

          「この模様難しいから他の模様にしてほしい」 ある日の夕方、私の部屋に来たソキアン。少し言いづらそうな表情で「違う模様にしてほしい」と相談をしにきた。IKTTの中ではもちろん、今となってはカンボジアの中でも一流の括り手と言っても過言ではないだろう。今までもっと難しく複雑な模様を復元してきた彼女にとっては簡単なレベルの模様だった。 「なぜ?」 復元したい布はいつもだいたいテキスタイルブックの中。その画像を拡大コピーし職人に渡す。しかしテキスタイルブックの画像が粗ければ、職人

          毎年3月満月に近い土日に開催していた蚕祭り

          つまり、この法則でいくと今日が前夜祭。が、しかし、コロナ以降は蚕祭りは開催せず、映像や画像で皆様に楽しんでいただこうと毎年試行錯誤してきた。さて、今年はどうしようと色々考え、括り手と織り手を引き連れてアンコールワットへお礼参りでもするかと思い立ち、比較的軽い気持ちで当日を迎えた。撮影の為ではなく、あくまでも日頃の感謝を伝えるためのもの。 私がアンコールワットに到着した時には、すでに職人達は到着していて橋の向こうで待っていた。彼女達はどこにいるのかと探しながらひたすら歩くと、

          毎年3月満月に近い土日に開催していた蚕祭り

          「糸」

          ん?中島みゆきか?と思ったそこのアタナ。鋭い。 ここ最近、森本さんの古くからのご友人やお知り合いに会うことが増えてきた。そして当時の話や森本さんとのエピソードを聞かせていだだく。その方だから知っている事なども多く、皆さん懐かしそうに当時のお話しをされる。自ずと、私も森本さんとの思い出をよく思い出すようになっていった。 7月3日、森本さんのご家族から亡くなったと知らせを受けた時には、なんとなくわかっていた。その日の早朝のことだった。ふと目が覚めると全身がゆっくり温かくなって

          ソキアンの生命の樹

          2017年6月、私たちは日本にいた。福岡で開催される「女性伝統工芸士展」というイベントに呼ばれたからだ。IKTTの職人はソキアンとワンニーの2名が参加し、実演。森本さんは講演を行った。講演会には本当に沢山の人が集まり、カンボジアから職人が来て実演するということで展示販売をするIKTTブースも大いに賑わった。 正直、当時私はまだそこまで布に関して詳しかったわけでは無い。しかし、そんな私でも印象深いと感じる作品があった。が、しかしそれはテキスタイルブックの中だった。 イベント

          ソキアンの生命の樹

          職人のプライド

          SEANG LEAN(シン レイン)、若い頃から括りを始め2007年伝統の森に家族と共に来た。彼女の得意な模様がある。それが私たちが「カンマン」と呼んでいるナーガや卍、プカーチャンなど吉祥文様で構成された人気の模様だ。昔から彼女はこの模様を得意としていた。彼女が制作するカンマン模様の布はお客様にとても人気があり、大判の布だけではなく、スカーフタイプや色違いも作り始めた。 まだ森本さんが生きていた頃の話し、彼女の括りが少しずつ揃わなくなってきた。布の最終仕上げ等を担当るショッ