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棺をのせたナーガ〜カンボジア版 死への準備〜

かろうじてまだ息はあるが、死にゆく準備が着々と進められていた。

伝統の森でお客様の料理を作っているペアの母親。彼女もまた職人。病気を患い、自宅と病院を行ったり来たりしていた。今回は2021年8月ペアの母親の最後の3日間の話。ご興味のある方はどうぞ。

※お婆→ペアの母親
※村人→伝統の森の職人

アチャー(祭司)が主導し様々な供え物を作る。村人達は慣れているのかアチャーからの指示で手際よくそれらを作っていた。目の前にはもう数日ももたないだろうお婆が横たわり、お線香の匂いが漂う。家族が涙ながらに声をかけるのだが、それはお別れの挨拶だった。このような儀式があることは知っていたが自分で経験するのは初めて、この時点では文化の違いに少々戸惑いを感じていた。かろうじて息をしているとはいえ、まだ生きているから。

しばらくすると顔なじみのお坊さんがやってきた。淡々と準備は進められお経が始まった。それが合図かのように村人や子供達も集まり、お婆が寝ている高床式の家を囲った。神妙な面持ちではあるが、日本のそれとは明らかに違う。この自然豊かな環境のせいなのかなんなのか、上手く言葉では表現が出来ない。

村人の一人が、このお経はお釈迦さまのところに迷わずに行けるように道案内の意味があるんだと教えてくれた。そして家族以外にも、数名の男性達が寝ずに朝まで付き添っている。その間皆には料理や飲み物が振舞われ飲み食いしているのだが、現状を知らなければただの食事会と間違えるほどの和やかさ。そんな風景を近くで見ていると、こうして家族も心の準備をしているのだろうと、初めに感じていた戸惑いが次第に消えていった。

病状的には病院にいた方が安心だろうが、自分の家で皆を近くに感じながら最後の時を待つ、この選択も悪くないなと思った。

そしてお婆が戻ってきてから3日目。意識はあるのかないのか、目は少しだけずっと開いたまま一点を見つめている。何か心配ごとでもあるのか、必死に上に行かないようにしているようにも思えてしまった。

娘のペアが村人からの助言を受け、心を落ち着かせ、悟りを開くためのお経を流し始めた。そしてお婆の手首や足首に巻いてある赤い紐を外し始めた。

そしてその日の夜、大きな鐘が鳴り響いた。亡くなったんだなとすぐにわかった。

死の間際、ほぼ話せなかったお婆が最後の力を振り絞って娘であるペアの名前を呼んだらしい。その後、家族や村人に見守られながら、ゆっくりと息を引き取った。

翌日、村の男達が伝統の森にある木の板をつなぎ合わせ作った棺は、ナーガの形が装飾された台車に乗せられ、ゆっくりと伝統の森の中を進んでいった。

先頭にはお坊さん、アチャー、白い布を身に纏った孫。そして棺を乗せたナーガにはペアとその旦那。ペアも全身白の布を纏い小さな花びらの入ったカゴを持ち、少しずつ道に撒いきながら進んでいく。そしてナーガの横には村人達が歩き、その後ろから続々とバイクに乗って続いていく。村の中心にあるお婆の家から、いつも仕事をしている工房の前を通り過ぎ、慣れ親しんだ道を皆でゆっくりと進んでいった。

牛舎の前には牛達が
森の中の道を入り口に向かって進む列
入り口を出て火葬場へ向かう

こうして一行は道幅いっぱいに広がり不規則な列をなして火葬場へと向かった。普通ならバイクで15分とかからない道を、時間をかけてゆっくりと進んでいく。その道すがら、列に参加する人々もいて、火葬場に着く頃には、かなりの人数になっていた。

初めて一通りの儀式を経験したが、なんだかとても良い見送り方のような気がした。


そしてその1週間後、夜中に姉からの電話。自分の父親が逝ってしまった。約2年、コロナで日本に帰国できていなかった時期だった。父親は家族が病院に駆けつける前に亡くなったそうだ。日本もカンボジアもコロナが一番ひどい時、規制も厳しく、カンボジアでは多くの地域がロックダウンしていた。無理やり日本に帰国しようと思えば出来ただろうが、様々な理由から、日本に帰国することは諦めた。きっとこの時期は同じような経験をした海外在住組も少なくないと思う。葬儀中はZOOMを繋ぐことが許された。この時期ならではの葬儀場側の配慮だろう。画面に映った伯父からは、おいみどり、お前どこにいるんだよって。そりゃそうだ。

この1週間の間で、日本とカンボジアそれぞれの最後を経験した。

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