職人とブランドディレクターの溝
みなさん、ストライキを受けたことがありますか?笑
当時は笑い事ではなかったが、今思えば職人達から受けたストライキ的な態度がIKTTにとって良い未来をもたらせた事は間違いない。
森本さんが亡くなってから、順調に事が進んだ訳ではない。
当時、ずっと気になっていた事があった。仕事の音がどんどん聞こえなくなっていた。私の部屋は工房からとても近く、部屋の中でも仕事の音が聞こえる環境だ。しかし当時、糸グルマの音、染料を石臼で砕く音、織り機の音、いつも聞こえてきた仕事の音が聞こえなくなっていた。自分が必死になればなるほど、その音はどんどん遠のいて行った。それと同時に流石に私の苛立ちもスーパーマックス。その当時の正直な気持ちは
「お前らの為にこっちは必死こいてやってんだろうがい」
だった。でも、なんとなく彼女らの気持ちもわかっていた。
森本さんが亡くなってから、当時会計を務めていたリナ(現代表)とその相棒に給料の支払い方と、経費の使い方についての改革をすぐにでもしてほしいと、自分で作った資料を見せながら伝えた。色々と不満の声が出るのは時間の問題だとわかっていたからだ。こうなる事がわかっていたかのように、私は数年分の収支を把握していた。そこから分析し今からでも出来る方法を提案し、すぐにでも実行してほしいと伝えた。
もう森本さんはいない。森本さんだから成り立っていたやり方は、私達には通用しなかった。そりゃそうだ。森本さんと職人達の信頼関係があってこそだったから。
そんな時期に、事は起きた。
すでに私が工房へ行っても、職人達は仕事をしなくなり始めていた。私の顔を見てもほぼ無視。しばらくして、職人達が私のとこにやってきて、各々の言いたい事をぶちまけた。私はもう少し待って欲しいと伝えた。当時の自分のクメール語力では、冷静に順序立てて皆に説明し安心させるのは無理だった。
当時、外側からも内側からも、「IKTTにいる日本人」というだけで矢面に立つのは自分だった。だが、ブライダルで鍛え抜かれた強靭な精神力と、元々持っているドMの素質のお陰で、心がへし折られる事はなかった。
リナの行動はとても早く、思ったより早く状況は改善に向かっていった。それと同時に商品のディレクション、クオリティーの向上、在庫の整理、売れないものは作らない、客単価の底上げ、無駄を省く、などなど一気に変え始めた。もちろん私一人だけではない。皆で協力して出来るだけ早く行動したかった。
つまり、一度、今あるシステムをすべて破壊した。
それはIKTTを再生させる為の私なりの手段だった。
少しでも売りたくないと思うものを作っていたら、はっきりと言った。それは綺麗ではないから売らない、すぐにやめて、次の1枚を始めてほしいと。皆から出た言葉は
「勿体無い」
もしくは、ため息からの呆れた顔で見られたコノヤロウ!ヤラレタラヤリカエス。
森本はこうだった、ああだった。皆、私と森本さんを無意識に比べていたのだろう。森本さんから言われたら納得することも、私から言われたら受け入れられない。カンボジア人は、表面上は優しくて穏やかでと感じると思うだろうが、あくまでも私の印象だが、頑固でプライドが高い。この時点で私はIKTTに来てからまだ3年目の新人。そりゃ、そうなる。しかし私も負けず劣らず頑固な性格。譲らなかった。自分がいわゆる「ブランドディレクター」的な立場になり、生意気ながら自分が納得できない布を作るつもりはなかった。
それが未来のIKTTを作ると思っていたから。一人一人が美意識をもち、職人としてのプライドをもち、そしてこの仕事を誇りに思えるようにするには必要な事だと。
誰がいてもいなくても、IKTTの布は一流である必要がある。
それは皆がこれからも「生きる」ためだ。そして、驚くほどのペースでIKTTは甦りはじめていった。あのストライキ的な出来事が、結果として私たちに良い未来をもたらせた。
今日も工房からは、仕事の音が聞こえてくる。心地よい音だ。
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