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死への準備

私は朝、昼、晩、森本さんと一緒に食事をさせてもらっていた。ある日のこと、いつものように夕食の準備を手伝うために森本さんの家に向かった。森本さんのデスクの前を通ると、声をかけられた。

「市内の店と工房を閉めようと思うんだ」

2016年末頃のこと。つまりそれはシェムリアップ市内の2拠点を無くすという事。とても急な話しだった。

市内には約60名のスタッフ、長年ここを支えてきた重鎮達も多い。以前、森本さんに数年分の収支を見て欲しいと頼まれた事があった。その頃森本さんは事務的な事はカンボジア人スタッフにほぼ任せていたので、私にそれをチェックしてきてほしいというものだった。こ、これは。。。その頃から毎月の収支も確認するようになった。なので森本さんが市内の拠点を閉めると言った心情は十分理解できた。その頃、すでに収入が大幅に減っていたからだ。

森本さんの具合が悪くなるとともに、IKTTの歯車が狂い始めていた。

森本さんの考えは、市内の工房とお店を閉めて、この森に集結させる考えだった。お店はどうするのか聞くと、市内に小さな店舗を借りればいいと。今まで市内で働いてきた職人やスタッフは、辞めてもらうか、この森に移動してくるかの究極の2択。森本さんは、自分で自分の考えをまとめるように私に話していた。いつもそうだった。「そう思わへん?」これが口癖。自分の考えをまとめる為の、聞き役でもあった。

そして、今いるスタッフの、まだ支払えていない給料を計算するよう頼まれた。ここは独自の給料の支払い方があった為、相当な額になった。森本さんはよく、「必要な時に、必要な人のところにお金は入って来るものだよ」と言っていた。これを証明するかのように、ちょうどその頃、森本さんはある賞を受賞した。そしてその受賞金は不払い分を全て払えるだけの額だった。森本さんと私は密かにその準備を進めていた。その時はこのまま進んでいくのだろうと思っていた。

市内のスタッフに伝えてくると言った日の夜、私は森本さんにどうだったか尋ねた。

「なんか、皆わかってないみたいだったよ」

きっと、ちゃんと話せなかったんだろうなと思った。それから、この話は消えた。森本さんが亡くなった後に聞いた話しだが、森本さんがまずはリナに伝えると、彼女は本気で反対したそうだ。みんなを辞めさせることなんて出来ない、みんながかわいそうだと。リナは森本さんに自分の意見をまっすぐに言える唯一の人間だった。きっと他の人間だったら、それに従うしかなかったかもしれない。もちろん、私も同様だ。なんなら森本さんの判断が正しいと思っていた。

森本さんは自分がいなくなった後の事を心配していたのだと思う。ここはもうカンボジア人のスタッフだけで回せるし、僕が死んだ後の事は心配してないよと、いつも言っていた。そう言い聞かせていたのだろう。色々な森本さんの行動がそれを証明していたように思う。それは森本さんなりの死への準備だったのかもしれない。死期が迫ると、あの森本さんが私に不安を口にする事が増えていった。痛みの事、身体の事、記憶の事、IKTTのこと、スタッフの事。

いつものように、私はただただそれを頷きながら聞いていた。

2017年7月、森本さんが亡くなってからしばらくすると、シェムリアップ市内のスタッフは一人、また一人と、徐々に姿を現さなくなった。

そして2019年7月、市内の拠点を一つにまとめた。

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