見出し画像

《病名変遷》〜つながってるじゃないか〜

この記事はひとに伝えたいような、伝えたくないような。

誤解が解けたら嬉しいし、共感されても嬉しいです。

&長いです。

私は昔から読書好き。



自分自身の病名を私は長らくカミングアウトするのを避けてきました。

しかし、時代と共に病名は変わっていきます。
私の病状云々ではなく、呼び方が変わるのです。

15歳で診断を受けた頃は、「うつ病」でした。
しかし、私自身「…服薬と休養で、治って……ないよなぁ」
と、気づきつつ17歳頃に一応病名は「思春期なんちゃらかんたら」←(覚えていない)。に変わり、21歳で「人格障害」になりました。

いまは「人格障害」という言葉は使われず、「境界性パーソナリティ障害」と呼ぶのだそうですが、私自身自分のポジションがよくわかりませんでした。

書籍によれば「精神疾患」と「神経症」の中間みたいなもんだって…う〜ん、わかるような、わからんような。


ちなみに「境界性パーソナリティ障害」をさらに「ボーダー(“境界”からとったもの)」と呼び、悪意があれば「ワガママ病」と呼ぶ人までいる。と付け加えておきます。

最近では「複雑性PTSD」という言い方もみられます。

私ゃ、ブリか。
出世できんかったなぁ(笑)。

(詳しく言うとびみょ〜に違ったりはするが、だいたい一緒。)

ちなみにパーソナリティ障害ときくとエキセントリックなイメージがあるかもしれませんが、私の場合はむしろ「人当たりのいい滅多に怒らない人」らしく初対面の人からもいきなりタメ口頂戴します(笑)。

犬、猫、猿、チョウチョ寄ってきます。


しかし「人格障害」との診断が下って10ウン年。
私自身は自分が境界性パーソナリティ障害であることは確かだと思うのですが、主治医は「もう“障害”という単語はつけなくてもいいんじゃないの?」と言ってくれています。
しかし、「処方箋上はフツーのひと。だけど〇〇さんはフツーのひとじゃないんだよ?」と念を押してきます。

あくまでも、自分の基礎は障害と組み合わさって出来ている。
もっと言えば、虐待経験が私の感情や思考の基盤になっている…
それはきちんと頭に入れておかないと…

こう(無職に)なる。
えへへ。

せっかく主治医はワザと「フツーのひとじゃない」なんてキツめワードで言ってくれたのに。



いま、私はnoteで「発達障害」もしくは「発達障害グレーゾーン」をカミングアウトしているひとの記事をよく読む。
自分が普段から気をつけていることと同じ注意を払ってみえたり、同じことが苦手だと書いてあったりする。


そしていまの自分より「うまい手」が書かれていたりする。
「おお、その発想はなかった!
よし、やれそうなやつはやってみるぞ!
メモ帳どこいった?」
なんだか最近の夜はメモを取ってばかりだ。


私は発達障害グレーゾーンなのかな?

確かに私の母は私と同じく精神疾患を患っている。
私の父は主治医によれば「発達障害の可能性が高い」。

………いや、もう「なのかな?」ですらねぇだろ。

今回の失職で自分に暗算能力がないことは嫌というほど思い知ったし、メモ帳がないと不安で外出できないし、おかずを同時進行で作れなくなったことも私はとても気にしている。



一昨日から読んでいる本たち。
左から二番目。
岡田尊司せんせぇの「発達障害グレーゾーン」になかなか詳しく「被虐待的環境と発達障害グレーゾーンとHSPの関係性」が書かれている。
つまりは、虐待を受けることと、発達障害グレーゾーンとHSPは繋がるって…

なんというか、結局どんな呼び名になろうが私が声を張るのはひとつ!
「ダメ!虐待!」


こういった本を読むのは本当に私にとって大切なことです。
病気や障害の原因がどんどん明るみになっていくから。
それだけ研究が進…いや必要になっている、この時代。


そして、打てる手は「撃つ!」
自主的に「撃つ!」のだ。

知ること、知識を得ることを私はやめません。
確かに私はたくさんのひとに支えられています。
しかし、最終的に自分が『生き抜いてやる』と腹の底から思っていなければとっくに死んでいたと思うんです。
知識は誰にも奪われないし、少なくとも知識を得ようとした事実はまだ私を裏切っていない。
んまぁ、「結局“サバイバル(生き残り)思考”じゃねぇか、もっと楽しめ!人間だろ!?」とも内心思うけど…


少なくとも1年更新で新刊本を読まないと、すごいスピードで障害の新しい解釈が出てくるんです。
そして、同時に私は自分が世の中からどう見えるのかは把握したいと思っています。


以前にnoteにも私は書いたけど、私はひどいネット嫌いでした。
過酷な幼少期を過ごしたひとが事件を起こしたときに、私は「庇う側」のコメントをした。
そして、バッシングを受けた。
すごく怖かった。


私が長らく病名を伏せて生活しているのは、とあるテレビ番組がキッカケだ。
いま言った事件とはまた別の事件だった。
殺人事件の報道だった。
その事件を起こしたひとのことは詳しく覚えていないのだが、ある有名コメンテーターが彼を指さして「パーソナリティちゃうの?」と言った。
私はゾッとした。

繰り返し繰り返し、このコメンテーターの発言が私の頭のなかに響き渡った。
もうそのシーンが何年も忘れられない。

まるで「パーソナリティ障害」のひとは「犯罪者」と言われたようで怖かった。

このときばかりは、私は「庇う」のではなく自分の身を案じた。

私…病名がバレたら社会からハブかれるどころか、叩かれるのか??

家族に叩かれて、病気になって、社会に叩かれるのか??

怖い…怖い…
隠さないと、隠さないと、隠さないと…!

…確かに、私と同じ仄暗い目をした男のひとだった。

確かに、私もフツーのひとじゃないけど…


だが、ハッキリ言わせてもらう。

ハッキリ言って、殺人まで起こす状態は「フツーの状態」でも「健康な状態」でもない。
自殺する人が「不健康な精神状態」になっているのと同じだ。


このときのコメンテーターの発言が正しいとか正しくないとかは、いま問うてもしかたない。

私はもっとぼやかして言ってほしかったなぁと思っている。
いまだに私はリアルでの付き合いがある人に病名は言わない。
言えない。



……話、それちゃった。
怒れちゃった。



☆おまけ☆

ちなみに、右端の本はおもしろ半分で手にしたのですが…

なかなか高確率で人格障害とか発達障害と伝えられている人びとの名言集じゃないか!
自分を励ますために買うことにしました。

そして、まえがきを読むと


亜美ちゃん、拡大鮮明化!(科捜研の女好きだ)

バレたか(笑)。
よく言われます。


まぁ、いいや。
けっこう自分のざんねん具合は知ってるつもり。

ポンコツくてざんねんなところが「味」なのだ。
わるいか。


自分は偉人とはかけ離れているとわかっていても、何だか『カテゴリー』は一緒な気がして「気になって」しまう。



全然関わりがなかったひとと自分が同郷だと知ったときに湧く「親近感」に近いのかも。





読んでくださった方、ありがとっ♡


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?