見出し画像

あのゲニウス・ロキ ③


(前回記事)

2024年 8月9日 金曜


 繁盛している居酒屋の陽気な店主は注文を受けると「わかりました」や「ありがとうございます」的な応答はせず、「うれしいなあ」「いやあうれしいねえ」と呟いては飲む。飲みながら調理をし、店に立てなくなるまで酔ったら店じまいだ。
 カウンターの右隣には、名古屋からやってきたという酒好きのおねえさまがた二人組、空のジョッキを持ち上げて、「おとうさんもうお酒ないよお!」と叫ぶおねえさんに、店の主人は「もうお酒ないよ!」とふざけると、「じゃあおとうさん買ってきてよアタシお酒飲みにきてんだからさあ!」とやり返す。
 一方、わたしの左側には新婚の夫婦で、女性の話しぶりは落ち着いているが、「秩父はよいところだ」「川越の出身だ」「いま博多に住んでいる」という話を穏やかにひたすら繰り返している。男性のほうは、またひとつ奥のカウンター席にいる常連客に対し、自分たち夫婦は仲がよく、毎晩抱いていますなどと、聞かれてもないのに突然あけすけに打ち明ける。その横で女性は「秩父には、"ポテくまくん"ってゆるキャラがいるんです。みそポテトの精」などとのたまう。お似合いの2人だ。

(実は私もポテくまくんはチェック済みで…)


 五島列島のうち、南側に位置する福江島である。上五島と比べるとだいぶ栄えている。コンビニもいくつもある。友人から事前に勧めてもらっていた居酒屋は、なんでも最近ミシュランガイドに掲載されたそうで、ふらっと入店できるのはよほど運がいいらしい。このところ、一人旅の利点でもある。 
 気づけば店主はすっかりご機嫌で、虹色のアフロのカツラをかぶっておどけ、自分の飲んでいるハイボールのジョッキを自らのはげ頭に乗せてポーズをとり、そして奥に引っ込んでいって二度と姿をあらわさない。店員さんがみんなに会計札を配り出す。「おとうさん今日もうだめだからお店閉めますね」

 その次。「プラネット・バー」という、かなり洒落込んだバーでは、マスターのほかに、店員として働く、大阪から移住してきたというPさんに話し相手になってもらった。酒の種類の相当豊富な立派なバーは、深夜の二時までやっているらしい。こちらもよく繁盛していたが、お盆どきでもあるから、人は普段よりも多いのかもしれない。

比較的あかるい場所


 福江島には夕暮れどきに到着したのだ。だから居酒屋とバーに行っただけで、みてまわるのは翌日の日中のつもりだった。しかし翌日、朝はやくに、航空会社から電話があった。今日いちにちのフライトがすべて中止になる旨だった。福江島をみてまわって、午後の便で長崎空港へ飛ぶ予定だったのが、ふいになる。

 しょうがないから朝から港にむかい、船の切符の発売を待ち、さらに乗船開始時刻を待つ。飛行機なら30分でつく場所へのフェリーは乗船時間だけでも3時間、切符の発売待ちから数えると倍ちかい時間になる。
 港でたまたまPさんと再会した。昨夜「プラネット・バー」で付き合ってもらった店員さんだ。休日だので、ほかの島へ行くらしい。昨日についてのお礼と、状況の説明とで短い立ち話をする。


奈留港(なるこう・上五島)

 旅客ターミナルは騒がしく、観光案内ボードを眺める耳に、波の音も潮の気配も届かない。お盆にやってきた親戚を待ち望む人々の迎えがある。試合で遠征していたらしい高校生たちの群れもある。海を眺めていたいけれど、光が強すぎてまともに見ていられない。激しい日に色を分解されたものども、ぶあつく黄色っぽいガラス、床のタイルに日の光がぶつかって、まぶしく拡散し、空間ににじみでている。白っちゃけた、開き直ったような気分だ。静かに朗らかに、のんびりしている反面、諦めに似たどうしようもなさの気配がある。たとえば血を失いすぎて、明らかにこのまま死ぬんだろうなと、かえって冷静に納得しているような。

 電車の駅や空港が交換可能な空間にみえる度合いに比べると、自然の景観を遮断しない港は、ひとつひとつに、もっと個別的な光景がひろがってるはずなのに、いくつもの国や地域でさまざまな船に乗ってきて、いま、どの港も、ぼんやりと、似たようなものとして感じられる。それは単に記憶と忘却の力でひとつの抽象的な「港」のイメージが出来上がっていったということかもしれないし、港で体験する「ある日ある時刻の海」の印象を「その海」を代表する印象としては扱えない、という一種の遠慮が、「海」を抽象化しようとする力を阻み、ひとつひとつの港を、あくまで具体的で特定的な場所としての把握に踏みとどまらせるために、「港」というイメージがうまく結ばれないのかもしれない。

フェリー


 


2024年 9月27日 金曜


 雨が降っていた。トークイベントをみにいった。詩人の吉増剛造(よします・ごうぞう)さんと、文芸評論家の高橋世織(たかはし・せおり)さんとの対談だった。

 東日本大震災で被害を受けた三陸の木々をつかってつくられているホールの中央に、ふたりのために、二脚の椅子が据えられているが、吉増さんも世織さんも、ほとんど座らない。あっちにいったりこっちにいったり、うろちょろうろちょろ落ち着かない。いわばまるで椅子を侮辱するようなショーでもあった。椅子には座らず、あまつさえ物置きにしてしまう。(二人とも、人形や本など、いろんなものを持ち込んで登壇している)

 身体をそこに縛りつけてしまう椅子を無視し、ふたりともがさまざまな音・声を発しながら動きまわる。故人の肉声が吹き込まれたカセットテープを再生し、声の調子や方言をしつこく確認する。あるいは、吉増さんが撮影した、雨の日のエッフェル塔の映像をみたあとで、「人間にはふたつの目がある」と話しはじめる。いわく、
 人間にはふたつの目がある。ひとつは、見ているものをちゃんと見ている目、それからもうひとつは、見ていないものを見ている目。見てない目が見ているものがある。

 ほかの話題ならたとえば、

・言葉を発した人自身の身体感覚を、発された言葉によって聞き取ろうと試みる。そういう姿勢をもって文字に接する必要性について。

・(モニターに映る、情報としての文字ではなくて)のれんやハッピの字のように、踊るように動く文字が宿す質について。

 すっごく難しい話だ。ふつう一般に使用する「声」という言葉のあり方のずっと奥深くに、もっと聞きたい「声」がある。

 吉増さんは、首からカウベルをぶらさげていた。会場ホールの木材を叩きながら、流れるように話す。話している最中、突然、流れを断ち切って、目の前の観客に話しかける。
「この首から下げているの、これカウベルっていってね、インドやなんかにいる牛が首から下げてるようなやつなの、これを首から下げてるとね、こうやって話してると、ときたま鳴るでしょう? そうすると、ふっと自分が牛になるんだな。こんなこと、文章を書いているときには思わないんだけど」

 新藤兼人の映画『裸の島』もほんの少しだけ上映した。瀬戸内の島で暮らす家族を描いた、セリフのない映画である。言葉は登場しないが、無声映画ではない。波の音や花火の音は聞こえてくる。生活を取り巻くサウンドスケープを、つまり、彼らを取り巻く事物の「声」を、聞かせるためにこそ、言葉を省いて構成された映画にも見える。

 その日の夜、世織さんとメールをしていて、つい感想文を送った。

感想文

 私はつくづく、『「空間」は、音によって「場所」になるのだな』と感じました。たんなる空間だったものを、ある場所にするものは、緯度経度や地形ではありません。
 そしてその音は、全員が同じように聞くのではないし、また、ひとつの耳に、一度にいろんな音が届くこともあります。
 だからこそ、ある人には、ほかのどこかと交換可能な、匿名で抽象的なspaceも、また別の誰かにとっては、交換不可能で離れ難いplaceたりえるわけです。あるいはさらに、同じ人にとっても、ひとつの場所が、同時に複数のさまざまな場所であったりさえする。

 人間の耳は、意味のようには音を聞き分けられません。「あの拍手」と「この拍手」の区別はつかないわけです。言葉で可能なラベリングと、耳に可能なラベリングは、ありようが違うわけです。この、ある種の粗さのためにしかし、たとえば、同じ空間にいろいろな場所が重なる、というマジックがおこるのだと思います。今日のイベントが行われた慶應のホールが、同時に、おふたりがかつて講義をされた早稲田の教室に変わったように。

 また、この感想文で述べている「音」とは、わたしらのなかにこだまする心の声も含めたものだろうとも思うのです。
 途中、吉増さんは「おれには肉体はない。器官ならある」と明言されていました。あるいは、「カウベルを首からさげていると、牛になることがある」とおっしゃっていました。
 そうか。脂の膜で包まれた器官の束は、周囲の音や、自身のうちにこもる自身の声によって、それらのサウンドスケープによって、「私」「身体」「私の身体」という「場所」になるのか。匿名的で抽象的なただの器官の束を「肉体」というひとまとまりにするものは、『裸の島』であらわされてたとおり、外部環境のサウンドスケープなのか。そんなことを思いました。


瀬戸内海


2024年 8月11日 日曜

 長崎から電車に乗って、諫早で乗り換える。初乗り運賃が日本一高いとされる島原鉄道だが、乗客はあんがい多い。二人がけの座席がむかいあっているボックス席に誰もいなくて、窓際に座った。サニーデイ・サービスを聞きながらPC作業をし、やり終えてPCをしまってイヤホンはずしたら、いつの間にかナナメ前に座っていた、鳥のようなおばあちゃんに話しかけられる。
「中国から?韓国から?」
「あ、東京からです」
 亀岡からきたというおばあちゃん、言ってることは意味不明である。肩書や説明をぬきに「●●さんとこの××が」と固有名詞だけで話すし、滑舌もカサカサしている。足を組んで、"フレミングの法則"のかたちの手でこちらを指さしながら、顎を気持ち持ち上げて、口をへの字に歪ませて喋る。そもそもの顔のつくりと喋り方も含めて、ほとんど矢沢永吉だった。
 寄りたい場所の最寄りの駅についたので彼女を残して電車を降りると、降りた駅の海側のヘリが崖になっていて、すぐ下に有明海がひろがっている。"映える"景観であるために駅舎に人はそこそこいるが、空を遮るもののない炎天下、周囲になにがあるわけでもなく、電車の時間はだいたい1時間に一本、カメラを構える人々はどうやって過ごすんだろう。
 座って絵を描いてたら、人声が多くなってきて、次の電車の時刻が近付いていると判明する。1時間くらい描いていたらしい。


大三東(おおみさき)駅

 
 大三東駅を出て歩いていた。並走する軽トラから呼びかけられた。
「めがたさん! きたんですか!」
 サモエド・レコードのムナゲさんだった。助手席に乗せてもらう。サモエド・レコードには、去年はじめて島原にきたときにお世話になった場所だ。
「いやあ、この暑いなか汗だくで歩いてる人いて、たいへんだなあって見てたらめがたさんだったとは。今年はどこ行ってたんですか」
「今朝まで五島にいました。福江からフェリーできました」
「福江っ、福江、どこ行きました?」
「いやあ、メシ食って飲んだだけなんですけど、「プラネット・バー」ってお店いきました」
「プラネット・バー! Pちゃん会いました?」

 ムナゲさんと一緒に「ありあけ 縄文の里」をみた。
 1割しか平地のない長崎県にあって、比較的ひらたい島原は、たびたび雲仙の噴火に見舞われてきたこともあり、かなり多くの遺跡がみつかる。有史以前から、多くの人々の暮らしがあった。
 土器の製造工場みたいな遺跡をみながら、これは「村」なのではなくて、半ば定住し、半ば遊動しながら暮らしている人々のうち数人がインターンでやってくる工房なんじゃないのか。情報交換をしたり、別の集団への移住・引き抜きが検討されたり、ガチで土器作陶の道に進むやつがいたり、そういうアトリエ村だったんじゃないか。そういうこともありえるな、と無根拠に想像する。


 借してもらったたチャリにのってぷらぷらする。なんとありがたい。絵を描いたりぷらぷらしたり、食堂コスタに行く。店主もすぐ「あ!またきたの!」気づいてくれる。去年はコスタで、「チャリあったほうが便利でしょ、使います?」と貸してもらった。そのときのお礼に、コスタから見える海の景色のイラストをまじえた手紙を添えたのだけれど、お店にそれを飾ってくれている。
 カウンターに座ってカレーを注文した。すぐ隣に、常連の7歳児が座った。コスタ自家製のアイスをこねている。
「これタダなんです。小学生だからね」と得意げで人懐っこい。
「ここカレーおいしいね」声をかけると、
「カレー食べたことなか」
「えっ、ほんと!」
「いつもそういう"設定"とよ。あんな、ぼくはいつものコースがあっとよ。マンゴージュース、ハンバーグ、このアイス、ここきたらいっつもそう」
「ハンバーグ好きなんだね。ハンバーグおいしいもんね」
「いんや、ここのだからおいしか」
 喋ってると膝に衝撃。みるともっと小さい女の子(カウンター用のスツールに昇れないサイズ)がファイティングポーズをとり、笑顔で私をどついている。気にせず隣の7歳児と話す。
「さっき外で何して遊んでたの」
「あんな、なんかな、死んだ魚ごとたくさんはいっとう木のな、箱があるけん、ひっくりかえして魚ば出しよった」
 食べ終えてコスタのご主人としばらくお話をさせてもらう。ぼくのカバンがビニール袋なのを心配して、ナップザックを貸してくれる。なんてありがたい…
 店の前の海を描いてたら、大量の死魚(しざかな)が放られているのを見つけた。アレだな、、、

アレだな…

 島原はいい。気持ちがいい。長崎県にしては平たいので風景が横に長くて空が広い。町じゅうに軽やかで透明な水が流れている。毛細血管のように網羅する流れの音が、音としてはっきり耳に届くわけでもないものの、むしろだからこそ、ホワイトノイズに包まれている催眠効果はきっとある。生き物なんて、つまり私なんて、水を循環させるシステムのバリエーションのひとつでしかない。なんだか空気の肌触りがしっかりしている。風が海面をたたき、あくまで温帯の草が自覚なく繁茂している。自分がまるで、ぐっすり眠る獣の腹に生えた毛の一本として揺れている気がする。

 サモエド裏手のお好み焼き屋で食事をし、店に戻り、この日はサモエドレコードに泊めてもらった。甘えっぱなしである。


お好み焼き屋にて。はちゃめちゃにデコられた虫スプレー


手紙


 僕には趣味がある。わざとか偶然か、誰かが道に落としてしまった手紙やメモを拾って集めている。収集してきた「落ちてた手紙」をたくさん持って、島原にきた。サモエドレコードはレコード屋ではなくて、古着屋・喫茶店です。古本も売っているしライブ会場にもなれば、シルクスクリーンを刷ることもできる。
 2冊のファイルに閉じ込めた「落ちていた手紙」を、サモエドレコードにおかせてもらった。お店に来た人は、これらを自由に見て、どういう背景で書かれたものなのかを想像してドキドキする、という遊びができる。ついでに、ワークショップというか、体験型の催しもおこなう。<「誰かへ」という書き出しで手紙をかいてもらうイベント>です。(いま現在も開催中)

イベント



2024年 8月12日 月曜

 朝、絵の具セット片手にサモエドの屋上へいく。サモエドレコードは、動物病院だったビルまるごとを改装したお店である。とはいえ店舗スペースは1階だけで、2階は居住スペースと倉庫、3階も多分倉庫である。屋上で、そこからみえる雲仙と、動物病院だったころのぼろ看板を描く。

屋上からの雲仙、絵の具セット

 1階に降りるとすでにみんないる。椅子に座らず、ノーウェイトでシルクスクリーンを刷りました。寝起きシルク。おれの着てきた犬のTシャツ(道でみつけたカワイイ犬を勝手に撮って勝手にTシャツにして勝手に着てる)の下に「SAMOYED RECORDS」の文字をプリントさせてもらった。

島原へきたらサモレコへ


 ホットコーヒーを飲み、ゆっくりしてからムナゲさんの車に乗り込む。まずはコスタまで行って、昨日借りたナップザックをお返しする。ムナゲさんといろいろ話しながら、諫早まで送っていただいた。お互いの家族のことや、島原の人たちのこと、音楽のことや潜伏キリシタンのことなど、話題はけっこう多岐にわたる。
 ぼくが個人的にどうのこうの感謝を伝えるんじゃなくて、「みんなも島原に来て、そしてサモエドで古着の一着でも買えばいいよ」と宣伝することで恩返しをしたいので、お店のBASEのリンクを(勝手に)貼っておきます。買って着ましょう。時間があれば落ちてた手紙もみにきてください。

https://samoyedrecor.base.ec/


(おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?