hiro@moriken

弥生時代の歴史研究をしているNPO法人守山弥生遺跡研究会のヒロです。 びわ湖の河口に形成された野洲川デルタの素晴らしい弥生遺跡をホームページ発信しています。 多くの方に素晴らしい遺跡を知って頂きたくnoteでも発信したいと思います。 (アイコンは漫画家 桜ざしょー さん提供)

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弥生時代の歴史研究をしているNPO法人守山弥生遺跡研究会のヒロです。 びわ湖の河口に形成された野洲川デルタの素晴らしい弥生遺跡をホームページ発信しています。 多くの方に素晴らしい遺跡を知って頂きたくnoteでも発信したいと思います。 (アイコンは漫画家 桜ざしょー さん提供)

マガジン

  • データボックス(弥生豆知識)

    このデータボックスでは、記事の中で使われる用語の解説や付加的な説明を 行っています。 記事の内容の理解の手助けになれば・・と思っています。

  • 切り絵作品館

    楽しみで切り絵を作っています。 紙を切る技術は、もっともっと上手な人がいます。 単純な絵でも、自分で切って、 作品が出来上がる喜びは格別です。

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自己紹介

初めまして。弥生遺跡大好きのヒロです。びわ湖にそそぐ最大の川、野洲川が河口に形成した野洲川デルタ(三角州)に栄えた、魅力たっぷり・謎もいっぱいの弥生遺跡についてお伝えしたいと思っています。 デルタに栄えたと言えば、ナイル川デルタのエジプト文明が有名ですが、野洲川デルタにも多くの弥生遺跡が栄えました。 デルタの大きさは、1辺が約15Kmの三角形ですが、その中に2つの国史跡指定された弥生遺跡があります。 国が「歴史を考える上で特に重要」と認定したのが国史跡ですが、いずれも守山市に

    • 切り絵 伊勢遺跡

      弥生後期の巨大祭祀空間「伊勢遺跡」を切り絵にしました。 タイトル画は、竹細工をする女性との2人展での様子です。   小谷正澄さん提供の伊勢遺跡CGを 切り絵パターンにして切ったものです。 背景に、近江富士と呼ばれている三上山が見えます。 三上山のすそ野の白い線は野洲川で、 この川が作った野洲川デルタに弥生遺跡が栄えました。 方形区画の、主殿、副殿、祭殿、祭祀用倉庫が並んでいます。 切り絵では、空の空白が難しいので 葛飾北斎風の雲を入れました。 直径約220mの円周上に並

      • 切り絵作品館

        楽しみで切り絵を作っています。 紙を切る技術は、もっともっと上手な人がいます。 単純な絵でも、自分で切って、 作品が出来上がる喜びは格別です。   5年になりますが、 最初は、切り絵用のパターンをコピーして、 ただ、切るのみ。 でも作品が完成すると楽しかったです。   今は、写真を撮って、 それを切り絵パターンに仕上げたり、 好きな画家の絵を切り絵用に変換して、 また、単純な絵柄だと自分で描いて、 切っています。   簡単そうですが、 原画から切り絵用に「つながった線」を 作

        • 弥生時代が大変なことに 年代が変わる?  【追記】

          日本の選挙後の混乱、アメリカの大統領選挙の陰に隠れて、考古学ファンにとっては 驚くべき報道がありました。 11月6日付けの朝日新聞夕刊(大阪)の記事です。 池上曾根遺跡の「神殿」とされる大型建物の柱の年代が、これまで測定されていた年代を数百年さかのぼるらしいのです。 奈良文化財研究所が国立歴史民俗博物館などと共同で測り直したそうです。 池上曾根遺跡の柱弥生時代中期の超大型建物が発見されている大阪府の池上曾根遺跡、その建物の年代は紀元前1世紀とされています。 約30年前、建物

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        • データボックス(弥生豆知識)
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        • 切り絵作品館
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        記事

          弥生時代の年代観 【追記】

          「弥生時代中期」などの年代の区分は、科学的な年代測定技術の進展で揺れ動いており、また、学者によっても 呼び方が変わります。 ここでは、野洲川デルタの弥生遺跡の説明のために、私たちが使う時代区分を説明しておきます。 さらに、野洲川デルタに存在した拠点集落と年代の関係を述べておきます。 野洲川デルタの拠点集落と時代区分 このシリーズで、弥生時代前期、中期、後期という時代呼称を使っています。 また、時代呼称と暦年代の対応や呼び方を決めておく必要があります。 私たちは、考古学の専

          弥生時代の年代観 【追記】

          野洲川デルタの地理情報

          野洲川デルタの地理情報をまとめています。 野洲川デルタのあるところ びわ湖に流入する川の中で最大の野洲川の河口にできたデルタ地帯です。 河口付近は、昔は北流、南流に分かれていて、その分デルタも広くなって います。 暴れ川の氾濫による洪水対策として中央に放流路が開削されました。 現在は野洲市、守山市、栗東市、草津市にわたっています。 野洲川デルタの弥生遺跡 野洲川デルタのいたるところに弥生時代の遺跡があることが分かります。 内陸側で遺跡の無い所は、古くからの集落があって

          野洲川デルタの地理情報

          伊勢遺跡は双子の祭場 ~伊勢神宮の祖型か~ ②

          前回は、伊勢遺跡と下鈎遺跡が双子の祭場であると述べました。 今回は、伊勢神宮との相似性について推理します。 伊勢・下鈎遺跡の祭祀の形 双子の祭場、伊勢遺跡と下鈎遺跡の2つの遺跡が、伊勢神宮の内宮      と外宮の2つの祭域に相当することになります。  では、どちらの遺跡が内宮・外宮に対応するのでしょうか?  そのためには、2つの遺跡での祭祀の形を見ていきましょう。  祭祀の形は、次の観点で考察します。    ・祭祀用の施設 - 水にまつわる装置・施設        (ここ

          伊勢遺跡は双子の祭場 ~伊勢神宮の祖型か~ ②

          弥生時代の建物

          弥生時代の建物 弥生時代、米づくりにともない、人々は定住を始め、竪穴住居に住み、収穫したお米を高床式建物に保管していた・・・と言われています。 野洲川下流域でも各地と同様に、これらの建物の柱穴が見つかっています。そうして、時代と共に建物も大型化していき、独立棟持柱建物や総柱の大型建物が現れます。中国・朝鮮の影響を受けた壁立建物も見られます。 建物の種類 この時代によく見られる建物を示します。 理解のため、現在の建物と対比してみます。 床の位置(高さ)で分類する  

          弥生時代の建物

          データボックス(弥生の豆知識)

          データボックスって何? このデータボックスでは、記事の中で使われる主として弥生時代に関する 用語の解説や付加的な説明を行っています。 記事の内容の理解の手助けになれば・・と思っています。 例えば、「野洲川のデルタ地帯の弥生遺跡で多くの掘立柱建物が・・」と書いてあっても  ・野洲川とはどこ?  ・弥生時代って、何年のこと?  ・掘立柱建物はどんな構造? いろいろ疑問が湧いてきます。 記事の本文に、イラストや図を入れていますが、体系的に書いてある情報が あれば役に立つのでは、 

          データボックス(弥生の豆知識)

          伊勢遺跡は双子の祭場 ~伊勢神宮の祖型か~ ①

          まえがき  伊勢遺跡の独立棟持柱建物は、古代建築研究者によって「祭殿」とみなされています。  その祭殿の形と大きさが伊勢神宮の正殿とほぼ同じであり、建築様式は 伊勢神宮と同じ「神明造り」であったと推定されています。   (建物の形式など、マガジンの「弥生時代の建物」で解説しています)  建物が似ていることと「伊勢」という名前から、伊勢神宮との関係性を唱える向きもありますが、伊勢神宮が資料的には7世紀までにしかさかのぼれなく、1~2世紀の伊勢遺跡との関係性は、時代ギャップが大

          伊勢遺跡は双子の祭場 ~伊勢神宮の祖型か~ ①

          伊勢遺跡の謎に迫る プロローグ 

          まえがき  びわ湖にそそぐ最大の川、野洲川の河口に形成された野洲川デルタには多くの弥生遺跡があります。  弥生中期の下之郷遺跡は、この時代に多く見られる環濠集落です。でも、他の遺跡とはちょっと違っていて謎めいています。多重環濠の内部には当時の住居:竪穴建物は一つもなく大型の掘立柱建物とあまり見られない中國・朝鮮系の丸型大型建物ばかり建っていました。  また、大岩山銅鐸は、日本最大でかつ最新型の銅鐸があり、銅鐸2大系統の近畿式銅鐸と三遠式銅鐸が同一場所に埋納しているのはここだ

          伊勢遺跡の謎に迫る プロローグ