弥生時代が大変なことに 年代が変わる? 【追記】
日本の選挙後の混乱、アメリカの大統領選挙の陰に隠れて、考古学ファンにとっては
驚くべき報道がありました。
11月6日付けの朝日新聞夕刊(大阪)の記事です。
池上曾根遺跡の「神殿」とされる大型建物の柱の年代が、これまで測定されていた年代を数百年さかのぼるらしいのです。
奈良文化財研究所が国立歴史民俗博物館などと共同で測り直したそうです。
池上曾根遺跡の柱
弥生時代中期の超大型建物が発見されている大阪府の池上曾根遺跡、その建物の年代は紀元前1世紀とされています。
約30年前、建物の柱のうち根本が腐らずに残っていた5本の柱の年代を「年輪年代法」で測定したところ、紀元前52年やそのあたりの年代と判定され、弥生時代中期の建物が紀元前に当たる、ということが確認されていました。
(この結果、弥生中期が約100年さかのぼった)
ところが、ところが;
朝日新聞の記事によると、この手法の専門家が再測定した結果、前52年の柱は従来の値を示した一方で、残る4本の年代は前221年、前403年、前520年、前782年と、従来の測定値に比べはるかに古い木材だった、という驚くべき結果でした。
なんとなんと、縄文時代に伐採された樹木を700年後に柱に加工して
使った、ことになります。
えっ! ですよね。
なんで再測定したのか
年輪年代法が利用され始めて約30年が経過。
当時は不十分だった標準パターンの精度や信頼度が高まったこともあり、
専門家が再測定したそうなんです。
待ってください!
この発言を裏返したら、これまでの測定データは精度や信頼度も低い、
ということになります。
なにせ5本のうち、1本だけが従来値で、4本は100~700年もずれており、
「精度が低い」というよりも、「精度・信頼度」以前の問題です。
わが身に置き換えると
野洲川デルタで言うと、池上曾根遺跡と同じ弥生中期には、下之郷遺跡や
ニノ畦・横枕遺跡があって、その専門家が遺跡から出た木材の年輪年代を
測定しています。
その値は、歴史的年代とほぼ同じで納得のいくものでした。
しかし、今回の再測定をした上記の理由を聞くと、
「これら遺跡の測定値は信用できるのか?」
となりますよね。
もし、再測定して古い年代が出てくると、これらの遺跡の年代が変わる
のでしょうか?
野洲川デルタだけではなく、これまでに測定された数多くのデータが信じられなくなります。
どう解釈するのか?
池上曾根遺跡の今回の測定結果について、考古学者は頭をひねっている
ようです。
・さらに古い遺跡で用いていた転用材?
・太い材木の外側数百年分を削り出して中心部を使う?
・縄文時代~弥生前期に埋没していた埋没材を掘り出した?
どれもこれも、苦しい理由付けのように感じます。
(付録)法隆寺五重塔の心柱も100年古い?
今回の再測定とは関係ないのですが、法隆寺の五重塔や金堂の材木の年輪
年代が測定されており、多くは、歴史的年代と年輪年代法の年代が大体
一致しています。
しかし、肝心の五重塔の心柱の年代が100年も古い測定結果となっており、議論を呼んで騒ぎになっています。
上に書いた池上曾根遺跡の柱の理由付けと同じことが議論されています。
今回の、池上曾根遺跡の測定結果を踏まえれば、「これまでの測定データは精度や信頼度も低い」ので、100年程度の誤差は当たり前、となりますね。
法隆寺以外にも多くの寺院のも木材の年輪年代が測定されており、同じような大幅な年代のずれが生じています。
さて、今後どうなるのか?
権威ある国立の考古学研究機関が「過去のデータに誤りがある」と
認めていることになりますよね。
ということは;
1.これまで測定したデータの多くは使えない
2.年輪年代法で暦年を決めてきたプロジェクトは、やり直し
3.酸素同位体比年輪年代法のデータも再確認必要?
この手法でも同じことを確認したと書かれているので
4.日本産樹木の年輪データを取入て作成された
IntCal20(JCal)にも波及する
5.日本がリードしてきた「年輪年代法」自体の信頼性は?
あちらこちらに影響を及ぼす「大変なことです」