伊勢遺跡は双子の祭場 ~伊勢神宮の祖型か~ ①
まえがき
伊勢遺跡の独立棟持柱建物は、古代建築研究者によって「祭殿」とみなされています。
その祭殿の形と大きさが伊勢神宮の正殿とほぼ同じであり、建築様式は
伊勢神宮と同じ「神明造り」であったと推定されています。
(建物の形式など、マガジンの「弥生時代の建物」で解説しています)
建物が似ていることと「伊勢」という名前から、伊勢神宮との関係性を唱える向きもありますが、伊勢神宮が資料的には7世紀までにしかさかのぼれなく、1~2世紀の伊勢遺跡との関係性は、時代ギャップが大きく、解き明かされていません。
しかし、伊勢遺跡に隣接する下鈎遺跡も検討に取り入れ、さらに祭祀のやり方を含めて考察してみると、伊勢神宮との関連性がクリアに浮かび上がってきます。
「伊勢遺跡の謎に迫る シリーズ1」
2つの謎に迫っていきます。
一つ目は、伊勢遺跡には双子の祭場があった
伊勢遺跡のすぐ近くに、ほぼ同じサイズの祭殿を有する同時期の
下鈎(しもまがり)遺跡があり、一つの計画の下で造営された双子の
祭場と考えられます。
面白いことに、二つの遺跡の祭祀のやり方が異なっているんです。
二つ目は、その双子の祭場は、現在の伊勢神宮によく似ている
下鈎遺跡の存在と、二つの遺跡の祭祀のやり方から、伊勢神宮の内宮・
外宮との相似性が見えてきます。
次回の記事になりますが、少々予告をしますと;
伊勢神宮の内宮・外宮は歴史的には別々の場所にあったようですが、
現在の両宮を見ていると、伊勢・下鈎遺跡と「うり二つ」とは言わ
ないが、とてもよく似ています。
両遺跡は「伊勢神宮の祖型?」というと、歴史家に叱られそう
だが・・・。
伊勢遺跡と下鈎遺跡の祭殿
伊勢・下鈎遺跡の時期 - 同時期に存在
ここからは、伊勢・下鈎遺跡の関係を説明します。次回は伊勢神宮との
関係性を掘り下げて述べてみます。
野洲川デルタの主要な弥生遺跡の年代を図に示します。
この時代区分は近畿地方のもので、地域によって違いがあります。学者に
よっても幾分の違いがあります。
(弥生時代の呼称[前期、中期、後期]と暦年の関係は、マガジンの「弥生
時代の年代」で解説しています)
伊勢遺跡は弥生時代後期中頃に忽然と現れ、下鈎遺跡はやや遅れて造営されて、ほぼ同時期に衰退します。衰退すると言っても、祭祀域が無くなった跡には住居が多数現れます。何らかの意図をもって、祭殿が壊され、住宅地に変わっていくようです。
伊勢・下鈎遺跡の位置関係 - 近接して存在
野洲川デルタの伊勢遺跡と下鈎遺跡の位置を図に示します。
両遺跡はたったの1.2Km程度しか離れていません。
当時、拠点集落は5~7Km離れていたようだし、ましてや大型建物群を
有する大型拠点は旧国制度の国範囲でみると、1国に1遺跡あるかないか。
現代の行政範囲で発掘が行われ、そこの地名が遺跡名になっているので
別の遺跡のように受け取れますが、当時は一つの地域であったかもしれないですね。
伊勢・下鈎遺跡の大型建物 - よく似ている
両遺跡の独立棟持柱建物(祭殿)の想像復元CGと柱穴を示します。
伊勢遺跡の円周上配置祭殿の一部と下鈎遺跡の南祭祀域の祭殿です。
伊勢遺跡の円周部には、伊勢神宮の正殿とほぼ同じ大きさの祭殿が等間隔で円周上に並んでいます。
下鈎遺跡で、奥の方に見えているSB-6は北祭祀域の祭殿で、大きさは手前の
南祭祀域の SB-1とほほ同じです。また、SB-2の陰に小型の祭殿SB-7が隠れています。
両者の祭殿を見て頂くとよく似ていることが分かって頂けるでしょう。
伊勢遺跡の紹介は、前回の「伊勢遺跡の謎に迫る プロローグ」で行っています。 下鈎遺跡については、下記ホームページをご覧ください。
祭殿の柱穴を比較
下図左は、伊勢遺跡祭殿と下鈎遺跡の柱穴の比較をしています。
若干の違いは見られるものの、ほぼ同じといえます。
柱位置を比べると、柱本数の違いや棟持柱の位置のがあるが、大きさはほぼ同じです。
参考までに、図右は伊勢神宮正殿の正面図、平面図です。
この図から、伊勢・下鈎遺跡の祭殿と伊勢神宮の正殿の規模が似て
いることが判ります。
(ここでは省くが、池上曾根遺跡や唐古・鍵遺跡の独立棟持柱建物は
規模が違う)
ここまでをまとめると、
・弥生時代後期 ほぼ同時期に誕生した
・2つの遺跡の距離は、約1.2Km とほぼ同じ場所である
・祭殿の大きさは、多少の違いはあるもののほぼ同じである
(伊勢遺跡の祭殿間でも同じくらいの違いがある)
結論
これまでに示した事実から、伊勢遺跡と下鈎遺跡は、一つのグランド
デザインの下で建設された双子の祭場と推定できそうです。
出典
イラストは、NPO法人守山弥生遺跡研究会の画家中井純子さんの作品です。
建物のCGはMKデザイン 小谷正澄さん又は栗東市教育委員会が著作者。
地図やその他の図はNPO法人守山弥生遺跡研究会のホームページから引用。
次回は、伊勢・下鈎遺跡と伊勢神宮の類似性について掘り下げます。
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