親が生存中に実家の断捨離や、色々な話をしたり、会話などをするのであれば、親子関係は良好なのが必要不可欠だと痛感をする
今日は。
このところ、いろいろと考えていると、親子と言えども、社会で形成をしている、所謂赤の他人との人間関係と変わらないという考えに行きつく。
なるべくなら、人間関係がいい方がいいに決まっているではないか。
断捨離や、全捨離や、片づけなどをしたり、色々とこれからの事も含め話し合ったり、会話をしたりするのにもだ。
そんなことは、私だって頭では、十二分にわかっている。
だが、私も人間だ。
頭ではわかってはいても、心では理解できないし、追いついて行かないことだってある。
でも、私も所詮人間だ。
時には譲れない事もある。
母のコレクションとやらと、死蔵品達を片づけられない理由を、私は冷静に母に理由を尋ねてみたが、片づけられない答えの理由は、わからない。
と彼女は、答えるのみだ。
母は、そこで思考停止になっているだけで、それ以上はなぜ自分は片づけられないのか?
と考えることさえも、母が考える時間さえもが、勿体ないと言われてしまった。
だから、コレクションや、死蔵品を片づけない理由を考えない、
と。
母のコレクションの洋服も、365日24時間着まわしたって、全部は一軍にはならない量だと、私は冷静に指摘をしたつもりだったが、母は逆ギレをし、お金があるから、こんなに私は衣装持ちであり、お金がない人は、こんなにたくさんの量は、私のように衣装は持てないし、コレクションも持てないのよ。
と言った。
母よ。
あなたが言った事は、貧乏思考の家の人の考え方そのままなのですよ。
あなたは、それにはきっと気が付いてはいないだろう。
今回、冷静にかつ、なるべく穏やかに、私は母に寄り添い話し合おうとしたが、まだ私が未熟な為に、また彼女のコレクションや、死蔵品の話ができずに終わった。
noteの記事や、他の媒体でもよく見かけるが、親が元気なうちに、実家の断捨離は少しでも進めておくべきだ、という記事を最近特に目にすることが多くなった。
それだけこのご時世、親や実家に残された、ガラクタやモノ達や、ゴミと化したモノ達の処分や、断捨離などに途方にくれたり、苦労をしたり、疲弊をしたりなどをしている人達が増えているのだろうと、私は思う。
親との絶縁もありだとは思うが、いざとなった時に、ツケを払うのは一体誰になるのだろうか?
と考えると、今はため息しか出ない。
更に、私は今から疲弊を感じる。
自分のガラクタや、モノ達だけさっさと断捨離をし、さっさと逃げるか?
もう実家や親とは、一切関わらない方がいいのか?
どうしたらいいのかベストなのかが、今の私にはわからない。
自分でわからないまま、さまよう日々は、今日も明日も、答えが出る日まで続くのかもしれない。
皆さん、今日一日お疲れさまでした。