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生活費マイナス3万円。

1月11日 土曜日

我々夫婦は週に一度、家庭における意見交換ということをやっている。

夫婦会議、というやつである。

日頃感じたことや伝えたいことをゆっくり話し合う場。

こう書くと、コミュニケーションが取れた夫婦ですね〜と思われるかもだが、
実際は金がどうの、子供がどうの、生活がどうの、というリアル過ぎる現実を目の当たりにするしょっぱい時間で、早く終わらないものか、と思ったりする。

そして、その話し合いの時に、主人が申し出た。

「今年から事務職にうつり、年で100万以上減収したので、生活費を3万円減らして欲しい」

とのこと。

主人の収入が減るだろうな、ということは彼の働きぶりから、素人の私がみても明らかであった。

残業は極力させない方針で、週に2日は自宅勤務。
会社に行く日は、8時ごろに帰宅。

家でアニソンを流しながら仕事をし、合間に芋を煮たり、散髪屋に行っている主人をみて、随分ホワイトな職場だなあ。。。。と思っていた。

前の昼も夜もない軍隊のようなエンジニア職から、一気に彼の生活は変わった。

イメージは寒風吹き荒ぶ雪の中、荷車を手押しする奴隷のような立場から、工場内の暖炉が通ったあたたかい事務室でタイピングする立場に変わったような激変ぶりだ。


健康的なライフスタイルになったので、よかったと思うが、その分減収は必須だろうとは思っていたが。。。。


三万かあ。。。。。

デカいなあ。。。。。

という思いは拭いきれない。


10時に布団に入ったのだけど、悶々とその考え事をしてしまい、11時に眠った。


しかし夜中2時半に目が覚めた。

主人のいびきである。

主人は蓄膿気味でいびきが大きい。
結婚当初からの悩みのタネであった。

心頭滅却すれば火もまた涼し。。。。


と頑張って眠ろうとするも、定期的に響くイビキが気になって眠れず。


気がつくと5時半になっていた。だっふんだ。

私はベッドから飛び起き、薬箱からブリーズライトを取り出して、主人の鼻にググッと怨念入り混じりつつ、力強く貼り付けた。

そして、薬を2錠飲んだ。


病院でやっぱり睡眠薬を処方してもらおうと思った。
音がなくなり、やっと眠りについた。


1月12日

冬の曇り。

寝不足とうつで調子が悪い。

朝からずっと布団に入って眠った。

ご飯は主人が用意してくれて有り難かった。

「事務になったから、ご飯も作れるようになったよ」

と言ったので、お金は減るけれど、調子が悪い時に家事をやってくれるのはありがたいと思った。

主人は英語の勉強中で映画を観るようになった。

しかし、この日見ていたのが何故かこれ。。。。


やめておいた方がいいよ、と言ったが、しばらくみていて
「気持ち悪くなった。。。。ご飯を食べた後に見るもんじゃない」
と視聴をやめていた。

私は以前視聴したこともあり、毎日のようにこのような悲惨な映像はみているので、終わりまで視聴した。
どう言えばいいのか。。。。映像だけでみれば、私は骨ばかりになった死者を担ぐことも厭わないだろうな。。。。と思った。
けれどそんなことが言えるのは匂いがないからであろう。

死体の匂いを嗅いだことはあるだろうか。

小学生の頃、雑木林の中で、犬の死体が腐乱してゆくのを毎日観察していたことがある。

こびりつくようなあの形容し難い死臭は今でも覚えている。
人間もそうなのだろうか。

当時、死体の埋葬をさせられた近辺のドイツ人はトラウマになるのではないか。
元親衛隊員やその関連の人たちが連合軍の命によって死体の運搬と埋葬を任じられたが、一般のドイツ人にそれを依頼するのは酷なことだと思うのだが。。。
これもヒトラーを支持した末路なのか。。。


1月13日

今日は元気なので、喫茶店に行って仕事。

資料ノートをつけるのも、将来へのアイデアの引き出しとして。



帰宅後も少し作業。

夕方から、無事に帰還した娘と、3人で一大会議を開いた。

議題は「娘の進路について」である。

娘は今年小5になる。

もう何年も前から訊ねていたが、受験をするのか、それともしないで近所の公立に通うのか、どちらかを娘は選択せねばならない。


受験をするのなら、塾に通い、これから2年間はお勉強の日々となる。

もししないのなら、娘が日頃から嫌がっている雑多で時に荒々しい学校にまた中学も通うようになる。

私と主人はかなり丁寧に、それぞれのメリットとデメリットを話し、主人は中学受験をし、私大のエスカレーター式で通ったよい面と悪い面を、私は公立中学校に通っていたのでその様子を話した。

そして、日本において「勉強」というものがどれほど人の人生を左右させるのかも、我々は過去の経験からしっかりと語った。

主人は受験に熱心な家庭で恵まれた都会の環境で育った、成功したものとして。
私はずっと放任で情報に恵まれなかった辺鄙な環境で育った、失敗したものとして。

全く境遇が異なる親から、それぞれの後悔や良かったところ、を聞かされて、娘も大変だったであろう。

2時間ほど話し合い、来月の1日に、娘自身が最終決定を決める、ということで家族会議は終わった。

ほとほと疲れた。。。。

主人と娘はクノイチを見ていたが、私はベッドルームで映像資料の勉強として戦場のピアニストを鑑賞。


何度見ても車椅子ごと窓から落とされるお爺さんの光景が辛過ぎる。

そして、いざ資料ノートをとって映像のワルシャワゲットーをみると、あらゆる風俗や人たちが、資料にそっくり書いているままであった。

窓から落とされる車椅子のお爺さんが何度も頭でリフレインして、やはりうまく眠れず、じゃかりこを食べて、1時半にやっと眠った。

作品を作る時間が取れず、若干イライラしている。

明日も午前中病院で時間が取られる。
わがおぼつかぬ体力が憎たらしい‼️


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