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マグカップの茶渋

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マグカップについた茶渋のような、雑でリアルな人生。薄暗くて、じめっとしてて、でもなんだか悪くない。
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2020年3月の記事一覧

「書くこと」に疑問を持っていた私が古典に救われた話。

「書くこと」に疑問を持っていた私が古典に救われた話。

「もうずっと長い間、書き続けていらっしゃいますね」

二月のはじめ、ある企画で全く知らない方に文章を読んでいただく機会があった。その時、私の文章を読んだその方が、そう言った。

言った、と書いてみたが、実際はツイッターのDMでのやり取りだった。スマホの液晶に映った文字を見ながら、そうか、私は「書いていた」のかと、改めて己の身を見つけたような心地がした。

たしかに、もうずっと長い間何かを書いている

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生きることの雑感。

生きることの雑感。

去年の六月、わたしの心は最悪だった。

どう最悪だったかと言うと、時々触れているように、まずお風呂に入れない。そして家から出られない。当然学校も行けなければ、人と連絡をとることもしない。これは、リアルの知り合いや友人に限らず、インターネット越しでの知り合い、心配してくれる友人たちともである。およそ一月以上はツイッターを放置していたし、日々息をするように呟く人間だったので、これはもう半分以上死んだと

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できるだけ日当たりの良い場所で、のびのびと葉をのばしたいから。

できるだけ日当たりの良い場所で、のびのびと葉をのばしたいから。

いよいよ春という陽気で、今日はとても暖かい。世間はコロナで騒然としているものの、いざ通院のために外へ出て見ると、意外と人も多い。

そりゃ、こんなに暖かければ出かけたくもなるよな。

一分咲きの桜の枝をみながら、そんなことを思った。

  〇

二週間に一度、大学の近くの病院に通院している。

なぜ実家の近くではなく大学の近くかというと、下宿に居ながらの通院を想定していたからだ。でも実際は、実家に

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十年後、鏡の前に立つために。

十年後、鏡の前に立つために。

「ああ、みなさんご成人おめでとうございます」

その日の授業の最初に、先生はいつもどおりゆったりとした声でそうおっしゃった。年が明けて間もない、最初の授業。もうほとんどの発表が終わり、あとは最終課題のレポート提出を残すのみだった。

正月明けの、午後の日差しが柔らかく教室に差し込んでいたことを、覚えている。

入口近くのいつもの席に腰かけた先生は、さて、と授業を始める前に、ちいさくひと呼吸を置いた

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ノートの中の、もがく文字たち

ノートの中の、もがく文字たち

去年の夏、無印良品でノートを一冊買った。

休学して実家で療養するようになったころ。ただぼんやりとした不安と、気持ちの落ち込みと、しかし何かはしなければという焦りだけが手元にはあった。

数ページしか使われていないそのノートには、作ったスコーンのレシピと、ボールペンで書いた花の絵、それから、もがいたように書きなぐった言葉がぽつぽつと。

梅雨明けの日、夏の始まり、八月の暑さの盛り、それから九月の野

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せぜのたまもをかきつめて

せぜのたまもをかきつめて

こと歌において、言葉はさまざまなものに例えられる。
こんな歌がある。

谷河の瀬々の玉藻をかきつめて たが水屑とかならんとすらむ

言葉を玉藻と例えて、それが水屑として消えていくことだろう、と歌っている。

この歌を詠んだ斎宮女御は、この歌を含めた数首をまとめて村上帝に贈答している。幾首にも重ねられた歌たち、そこに集積された表しきれない感情を『玉藻』としているのだ。

水屑となることを前提としなが

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次のひと掃きを、ただ繰り返す。

次のひと掃きを、ただ繰り返す。

早起きをした。目が覚めてしまっただけなのだけれども。
ときどき、こういう日がある。いや、早起きをする日という意味でなく、自分の無力感と万能感が交差して押し寄せる朝のこと。あるいは、夜中のこと。
毎日必死に文章を考えている気がする。違う、必死ではないかもしれない。必死に考えているのなら、もっと刺さるものがかけてもいいだろう。
あきらかに、手を抜いているのかも。
必死じゃなければ、書いてはいけないのか

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きちんと悲しむために。

きちんと悲しむために。

「こんなの、癌に比べれば大したものじゃないよ。死ぬわけじゃないんだから、平気。すぐに元気になれるよ」

身体を壊して実家に戻った私に、最初に母が言った言葉だった。最寄り駅から実家までの車の中で、その言葉をかみしめながら、ただ悲しくて仕方がなかった。

  〇

母は昔から「もっと大変な人はいるから」と言う人だった。

別に、母だけじゃない。世の中の多くの人が、「私より苦しい人はいるから、こんなこと

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届く言葉と届かぬ言葉。

届く言葉と届かぬ言葉。

世の中には、届く言葉と届かない言葉がある。
それは、読者の数や人気の差異ではなく、言葉そのものに宿る力じゃなかろうかと、私は思っている。

  〇

言葉を届けたいときに、きっと大切なのは「教えてやる」って態度じゃないんだろうなって、思う。

「世界の真理を教えてやろう」みたいな態度で来る人っているじゃない?いやだよね、ああいう人ね。なんで嫌なんだろうって考えるとき、きっと言葉に無意識に「自分のほ

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なんどでも、あの詩をくちずさむ。

なんどでも、あの詩をくちずさむ。

あそこの雑貨店を訪れたのは、いつだったろう。なぜだったろう。

  〇

名古屋に大須という奇妙な街がある。名古屋の秋葉原や、名古屋の新宿なんて呼ばれたりするが、いったいどっちなのかはっきりとしない。思うに、きっと誰も秋葉原や新宿に行ったことがないのだろう。私もないから、はたして大須が秋葉原っぽいのか新宿っぽいのか、わからない。

そんな街で、ある雑貨店を見つけたのは、大学一年生のころだった。ひっ

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日々綴る日々。

お酒を呑みながら、煙草をくゆらす。ここは、こじゃれた静かなバーだ。間接照明に、しっとりとしたジャズのメロディ。グラスの縁を色どるソルティドッグの塩の結晶が、私の代わりに泣くみたいに、ちらちらと光る。
一口に飲むと、涙の味がしたあとにグレープフルーツのさわやかさが慰めてくれる。
帰ったら、ゆっくりお風呂に浸かって、それからお気に入りのアロマを焚きながらねよう。またくる明日を生きるために。
そう決める

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あの角を曲がったお肉屋さん。

幼子というのは不思議なもので、今自分が生きている世界を完璧だと思いながら生きていたりする。

幼子、というとても大きな主語を付けたが、これは私の幼少の頃の話だ。戦争や、飢餓や、あらゆる恐ろしいこと。そういったものは全て過去のものとして消化され、終わった話だと思っていた。そして、今あるこの世界がある種完成されたものだと考えるのだ。そこには、これから起きるだろう変化や崩壊、再生なんてものは含まれていな

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運命、ということにしよう。

運命、ということにしよう。

不思議と縁を感じるような出来事が、人生ではときたま起こる。

それは、例えば今まで気付かなかっただけで、実は生活の中に潜んでいるものを発見したとき。田んぼの畦道に生える雑草は、名前を知っていれば雑草ではなくなる。次第にその花が目に留まるようになり、なぜだか縁を感じる。

それは、いってしまえば偶然だ。たとえこの畦道を通るのが自分以外の誰かでも、同じように花は咲いている。だけれど、道を通る人の全員が

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今日の雨は嫌い

今日の雨は嫌い

ざあざあと、雨が降っている。雨の日は嫌いではないけれど、今日はなぜだか気持ちがずんと落ち込んで、ひねもす布団の中で夢と現の揺蕩っていた。

暗いニュースが多い日が続いている。解決しようもない将来への不安や、何も見えないという恐怖、焦燥感。愉快や楽しさ、心の踊るものをすべて取り去ったような街が、雨の中に沈んでいる。

人も自分も、すべてが嫌いだと思わせる雨。この世のあらゆる繋がりを分断する雨。忍びよ

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