生きることの雑感。
去年の六月、わたしの心は最悪だった。
どう最悪だったかと言うと、時々触れているように、まずお風呂に入れない。そして家から出られない。当然学校も行けなければ、人と連絡をとることもしない。これは、リアルの知り合いや友人に限らず、インターネット越しでの知り合い、心配してくれる友人たちともである。およそ一月以上はツイッターを放置していたし、日々息をするように呟く人間だったので、これはもう半分以上死んだと思われてもおかしくはない。
それで、そんな時、なにをしているかというと、たいていどうしようもなくて布団の中にいる。
布団の中でひたすら海外ドラマとかみている。
これね、面白いとか、楽しいとか、エンタメすばらしいとかじゃない。
脳みそに隙間を作ってしまうと、その瞬間『死にたい』という感情があふれ出すのだ。だから、その容量に、ひたすら映像作品を詰め込む。理解するとか、わくわくするとか、たのしむとかではない。たぶん分かる人にはこの感覚がよくわかるし、分からないって人はきっとわからない。一生わからないままでいいし、こんな形でエンタメ作品を文字通り消費するのは非常に不健康だから。不健康だけれど、これはある種の自己防衛で、こうしなければ息が出来ない日も、ある。
それでも、はっと気づくとインターネットで『自殺 楽 方法』とか調べている。
自殺は結構簡単、とか。
この方法は死ねない可能性もあって、最悪後遺症がひどいので危険、とか。
誰も死んだことねえくせに言いたい放題だなあ。そんなことを思いながらスマホをスクロールするのだ。
あほみたいでしょ、あほなの。
こうなる前に病院に行こうね……。
だけれどもある日、ふと自分の来ていたパジャマを見て思った。
あれ? 布って、何で染まってるんだっけ……。
何で出来てるかは、だいたい分かる。綿花、蚕、羊の毛。それから化学繊維。
でもあれ? 昔の人って、どうやって布染めてたんだっけ。岩絵の具で染めてるわけないしな。ん???
調べた。
草木染めを知った。知ったというか、改めて認識した、とでもいうべきか。
淡くて、いつでも出したい色が出せるとは限らない草木染め。すべて自分の手から色を作り出すという、そういう行為。
めちゃくちゃに、惹かれた。
それからは、自殺方法の代わりに、なぜかひたすら草木染めの方法を検索していた。ほうほう、花びらで染まるのか。えっ、桜の枝でも!? うそ、藍って家で育てられるの……生葉染めってこんなにきれいな空色なのか。なんでアボカドの皮からピンク色が採れるんだ!?
人は本当に疲れたときに、手ずから物を作り出すことに惹かれるらしい。
不思議だ。
でもそれって、最高に「生きている」感じがするよね。
私たちのまわりのものは、今やほとんど作り方が分からない。最初は自分たちで作っていたはずなのに、着ている服一枚、自分で作ることはむずかしい。羊の毛を刈ることも、蚕から絹糸を取ることも、それらを紡いだり織ったりすることも、やったことがないから。
でも、やったことがないってことは、やれないってことじゃない。
生きる力がわかないとき、そういう時の「生きる」って、なんだろう。
きっと、生物としての「生きる」じゃなくて、社会における「生きる」のことを、考えている。きちんとしなきゃとか、何もできないダメ人間だ私は、とか。でも、生きるってそもそも息をすること。飯食って、風呂入って、服を着て、時々人と会うこと。
それでいいんだよ、それで。きっといい。
生きるのは難しいから、手元から、ちいさいところから生きてみる。
そうやって、また歩き出せる日まで、心に栄養をおくっている。
〇
ぐっすりぼんやり起きたらこんな時間だったので、雑感を手短に。
ストレスがたまる日々が続きますが、なにとぞ、ご自愛ください。
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