できるだけ日当たりの良い場所で、のびのびと葉をのばしたいから。
いよいよ春という陽気で、今日はとても暖かい。世間はコロナで騒然としているものの、いざ通院のために外へ出て見ると、意外と人も多い。
そりゃ、こんなに暖かければ出かけたくもなるよな。
一分咲きの桜の枝をみながら、そんなことを思った。
〇
二週間に一度、大学の近くの病院に通院している。
なぜ実家の近くではなく大学の近くかというと、下宿に居ながらの通院を想定していたからだ。でも実際は、実家に戻ることになったので、私は二週に一回街の方へと赴くことになってしまった。
病院から大学は、およそ一駅。歩いても行ける距離。
夏からずっと通院を続けているが、その間一度たりとも、大学へ自分から行こうと思ったことはなかった。
だけれども、今日はいやにいい天気だった。それから、専門の勉強がしたくて、大学図書館に行きたかった。あと、研究室に置きっぱなしの資料をどうしても見たかった。
そんな色々が重なって、本当に久しぶりに院生室の扉をたたいた。春休みだから、中には助手さんがいらっしゃって、たわいもない世間話をして何事もなく用事を済ますことができた。
驚いた。
心底、驚いた。
去年の夏には、部屋に近づくだけで息が上がって、人と会えば涙が出る。右も左も、自分がどこにいるのかすらもわからなくなっていたのに。
「また、体調と天気がいいときに顔出してね」
そうおっしゃっていつも通りニコニコしている助手さんに別れを告げて、電車に乗るまで不思議でしょうがなかった。
私は、なにがあんなに怖かったのだろう。
喉元すぎれば、というやつかしら。なんて、呑気に思っていたけれど、そうじゃないということにすぐ気が付いた。
地下鉄のホームへと階段を下りている途中、上りのエスカレーターに先輩の顔を見つけた。心拍数が急激に上がって、目線が合わないように急いで逸らした。見つからないように、ここにいることがばれないように。ただ、そう祈って急いで通り過ぎる。
逃げるようにホームに入ってきた電車に飛び乗った。
ああ、そうだ。私はきっと、場所じゃなく人が嫌だったんだ。
ようやく実感として、そう思うことが出来た。
〇
ごくごく当然のことなのだけれど、自分のことを詳しくない人にあれこれ言われたって、聞くことなんてないのだ。
嫌なことを言う人は、大方、だいたい、十中八九、自分の中の問題を他人にすり替えているだけなのだから。
だから、自分は自分で信じた方へ、進む方がいい。相談するなら、本当に信頼できる人へ相談するべきだし、同じ組織にいるからといって、信用できるとは限らないのだ。
たったそれだけの話だけれど、人は弱っているとき、藁にもすがってしまうんだなあ。
〇
「今のうちに、公務員試験対策か、インターン行くかしたほうがいいよ」
研究室に試験勉強をしに来ている先輩が、そういった。夜の十時だ。私は授業の発表準備をしていた。大変だけれども、発表準備というのはとても楽しい。本文を読み込んで、論文を読み込んで、問題点を洗い出す。色んな研究者の説や、あらゆる資料を脳みその余白に放り込んで、ぐつぐつと煮詰めるのだ。煮詰めて、煮詰めて、そこからなにか新しい模様が見えないか探し出す。まだ未熟な私だけれど、研究の楽しさとはそういうところにあると思っている。
私の論文を読む手を止めたのは、先輩の言葉だった。
「うーん、でも、勉強したいですから」
なんとなく濁してそう返した。実際、私は勉強がしたくて大学院に進んだ。そりゃ、学歴とか打算的な考えがないといえば嘘だけれど、なによりも勉強できることが嬉しかったし、そうじゃなければ来なかった。
「でもさあ、ドクター行くわけでもないなら、研究なんてそこそこにしてほかの勉強しないとさ。一般常識とか、俺がやってる地方上級とかさ」
将来のことを考えることも大切なのはわかっている。だけれども、入学した直後の院生にそれを言わなくてもいいんじゃないかなと、おもった。思ったけれど、一応先輩なので、曖昧に笑って返した。
「俺も、M1の春から公務員の勉強してるしな。まあ、俺は賢いし?」
それから、その先輩はなんだかんだと言っていた。私は不安だけを煽られて、その夜はなかなか眠れなかった。
〇
いや、今思い出すだけでも嫌な先輩だな。
今日助手さんがその人の就職先がこの地域であることを聞いた。気が向けば顔を出すそうだ。できればエンカウントしたくないし、もう一生お目にかかりたくない。
今思えば、きっと公務員試験前で不安だったんだろう。不安な人間っていうのは、そういうものだ。自分の不安を、他人の不安に置き換えて、「あなたのことを思って」なんて言葉で人の足を引っ張ろうとする。
あ~やだやだ。
あ~やだやだ、って思える。そうやって言えるだけ、私の病状はだいぶよくなったのかも。
〇
アドバイスと言う名の、心を錆びつかせる言葉に、耳を貸す必要なんて本当にない。きっと、友達がこんなこと言われたって言ってたら「誰だそんなこと言ったやつ、ぶん殴ってやる」って気持ちに、私もなる。
だけれども、自分のことになると、そうは思えないのは不思議だよね。
きっと、「アドバイスを聞く従順な後輩」の方が人当たりがいいと思っているからなんだろうな。
でも、訳知り顔の嫌な奴の言葉を聞いて、自分を疲弊させる必要なんて本当にないんだよ。
〇
今年のはじめ、一年ぶりに恩師にお会いしたとき、この話を先生にした。
「ああ、それはね、あなたのことがうらやましいのよ」
先生は、あっけらかんとそうおっしゃった。
「あなたは古典が好きでしょ? 研究が楽しいし、勉強が出来て嬉しい。だから、いつも研究室で勉強してたでしょ。それがね、妬ましかったの。それだけですよ」
そう言って、これも食べなさいって先生のカレーセットに付いてきたデザートをくださった。杏仁豆腐みたいなそれを食べながら、私はなんだか、むずがゆい気持ちになった。
それは「やっぱり、そうですよね!!」っていう、自惚れな自分を隠すためだ。もしかしたら、違うかもしれない、って一応建前として思っておく。だけれども、私は先生のことを信用しているし、訳知り顔の先輩が偉そうに言うことより、先生の言うことを、自分のためになる事を聞いた方が、絶対に良い。
〇
置かれる環境って、本当に大切なんだなって、この一年で本当にそう感じた。だって、朗らかな女子大で勉強していた時と、誇り臭くて他人のあら捜しばかりしている大学院にいるときとでは、心が全然違うもの。
他人のあら捜しばかりする人のそばにいると、他人のあら捜しばかりする人になっちゃうよ。そりゃそうさ。
「俺は苦労して一人暮らししているのに、あいつはお嬢だから」
みたいな、そんな話聞きたくないよ。みんなそれぞれの家の事情があって、身体の事情がある。それだけなのにな。
「私もつらかったけど、なんとかなったから、あなたもなんとかなるよ!がんばらないとだめだよ!」
果たしてそうだろうか?私とあなたでは、生活も違えば体の健康も違う。貴方に出来ることが、私には無理かもしれないだろ?
「まあ、うちの大学卒業したって名前があれば、どこでだって入れるよ」
ああ、もう、黙っててくれない???
〇
世の中ちゃんと偏差値が高くて賢い人もいるとは思うんだけれど、というか、そういう人の方が多いと思うんだけれど、偏差値は高いけれど本当にどうしようもない人もいるのだなあって、院に行ってから知った。
それで、できるだけ、自分の置く場所は自分で選ぼうと思う。
出来るだけ、優しくて、そして聡明な人の中に居たい。
私はそんなに聡明な方ではなくて、間違いばかりで、誰かを知らない間に傷つけたりしているのかもしれないけれど。
それでも、人は置かれた環境で変わるのだとしたら、できるだけ日当たりの良い場所で、のびのびと葉をのばしたいよ。
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