天正14年(1586)5月22日は通称・蜂須賀小六こと蜂須賀正勝が病死した日。信長が美濃攻めする無名な頃から秀吉に仕えた。秀吉が家臣の中で双璧をなす黒田官兵衛の息子に小六の娘を嫁がせ結束を固めたという。譜代家臣のいない秀吉の織田家での立身出世と天下人への階段を登ることを支えた。
永禄9年(1566)9月24日は秀吉が信長の美濃侵攻拠点として墨俣に城を築いた日。蜂須賀小六らの助けを借りた木下藤吉郎が今でいうプレハブ工法で木材を組み上流から川で運び組立てて墨俣一夜城を造るという話。太閤記や武功夜話に登場する創作といわれるが要衝の地であり砦は存在していた。