蜂須賀小六(はちすかころく)と秀吉(ひでよし)の墨俣(すのまた)の一夜城(いちやじょう)その3、全4回
ポン。昨日の続きだよ。
蜂須賀小六(はちすかころく)という、このリーダーはね、このあたりの野武士(のぶし)たちをまとめている人だったんだよ。秀吉も尾張(おわり)から出てきたばっかりの時、食べるものもなく困っていた若い頃にはね、蜂須賀小六どのは良いお方だと聞いて、ここにしばらくいたことがあったんだよ。小屋にはいつもお米が炊いてあって、誰でも来て食べることができたし、屋根の下で寝ることもできたんだよ。野武士というのは、決まったお殿さまの家来になっていないフリーターの武士みたいな人たちのことを言うんだよ。だから、どっかで戦いがありそうだといえば、槍をしょって行って、槍働きで働いてきては、またここに戻ってくるんだ。そういうフリーター野武士たちがたくさん集まっていたんだ。
「皆のもの。よぉ聞けや。二つとない大それた仕事よ。ここに織田のお殿さまからの黄金(こがね)が山ほどあるのじゃ。ほうれ、皆に惜しまずに分けようぞ。墨俣に城を作るのじゃ。よいか、サルめをワシと思うてようくお仕えするのじゃ。」
2千人もの野武士たちが、集まってきてね、織田信長さまから預かった黄金の山をそういって見せたんだ。おーおーと皆、めっちゃやる気になったよ。
墨俣に作るものは、長屋10棟、櫓(やぐら)10棟、塀(へい)2千間、木柵5万本ぶんだ。塀は1間が1.8メートル。それを2千間だから、1.8x2,000で3,600メートルにもなるんだね。それに使う木の棒が5万本もいるんだ。そのぐるりの塀の中に、長いお家を10個、櫓も10個も作るんだ。秀吉の計画書にはね、7日間で材料を集めて、8日間で寸法揃い、9日間で組み立てとあったんだ。
今日はここまで、また明日。ポン!