【旅日記】春旅行ファイナル② 勝瑞~徳島城
(前回のあらすじ)ディーゼルカーの降り方がわからず、運転手さんにきつく呼び止められてしまうのであった。
城とは言うものの、全体として平城で、土塁・水堀の跡もほとんど防御機能を感じないものでした。
全く敵に攻められたこともなかったので仕方がないでしょうが、これでは長宗我部の猛攻に手も足も出なかったでしょう。
三好家四代の墓。
ただし、畿内の覇者となったあとの長慶・義興・義継のものはありません。
之長以下三代と、最後の長治。
飽くまで阿波の大名としての三好氏の本拠地です。
事務所には豊富な資料が展示されていました。
発掘された土器類や、両細川の乱〜天文法華の乱〜長慶の覇権という複雑な経緯を表現した力作マンガも…
洛中洛外図屏風の小さい複製もありましたが、残念ながら撮影禁止。
最近は研究が進み、三好政権の先進性やその限界も明らかになってきました。
(司馬遼太郎の古典『国盗り物語』の中でも、ちょっと三好氏が描かれていますが、もはや現在では荒唐無稽なレベルの古さです)
「全部松永久秀が悪かった」式の単純化も見直されてきて、室町ファンとしては何よりです。
三英傑中心史観、というものが相対化されていく中で、信長や秀吉の特異性が、かえって明らかになっていくのではないでしょうか。
徳島に戻ってから、駅のすぐ裏の徳島城へ足を運んでみましたが、勝瑞城との対比がものすごかった。
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