いまだにボクシングはスポーツの中で別格だ。あのスポーツだけが頭を集中的に叩き合い「死ぬかもしれない」危険を曖昧なまま温存している。わたしたちは自分が死に直面して生の実感を得るのは恐ろしいので、せめて他人が死に直面しながら奮闘している姿を見て緩み切った生の弦を張り直したいのである。
ボクシングは、もちろん、今は女性もやる。けれども、「男らしいスポーツである」ことは否めない。プロボクシングのチャンピオンだった男性はおおむね引退後も、何か闘争的でマッチョで恐れなき人物を演じており、周囲もそれを期待している。男とはやはり命がけで何かをすることで男と認知されるようだ
“わかったふうなこと”は語りたくない。ただ自分が感じたことだけ、“自分の言葉だけ”しか語れない。壮大な、未知なる、無限の『物語』に触れたときは、いつもそう思う。正確に言葉にできることなんて、なんにもないなって。ただ“感じる”だけ。感じたものがすべて。なんて豊かな「生」の実感✴︎
ネットでどんなにブランディングしたところで…まあやらないよりはいいのかもしれませんが、所詮「砂上の楼閣」にしか見えないんですよね。 「生の実感」を大事にしたいと思っています。 おはようございます。