よく10年経てば社会は変わるってゆう でも、10年前のアニメをみて、 確かに今と技術、作画の綺麗さとかは 今の方が高い だけど、伝えてくることとか、楽しいことや つらいこととかは変わってないように感じた 確かに綺麗だった、今と同じように 10年経てば社会は変わる でも、そこで生きる人々は変わらない
死にたいって一度は思うべき なぜなら自分が幸福を感じたとき 「あのとき、死んでたら今の幸福はないんだな」って思えるから 奇跡を感じれるから 死にたいって思ったら そこから逃げろ そこはお前の生きる場所じゃない 行きたいって思えたら その思いと共に生きていいと思う
今日はよく晴れたいい日だ でも、僕の心には雨が降っている なかなかやまない雨だ シトシト降っている 僕は悲しいのかなと思っていると 心の雨が僕の瞳に雨がつたう そうか、僕は苦しいのだ 僕が僕だから苦しいのだ やまない雨はないってよく言うけど 僕の雨はやむのかな
今日、私は大きな思い込みから解放された。 それは私はクズではないという妄想だ 今まで自分がクズ、無能、弱者であることから目を逸らしてきた、努力すればなんとかなると信じて、思い込ませて生きてきた。 でも、違った、世の中にはどうしようもないこと(重力圏では物は落ちるとか)は存在するということだ 私は絶望した。私は死ぬしかないと思った。 だが、私は知った、生活保護という道があることを。自分が本当にしたいことや自分にもできることを見つけるまでは生活保護をとればいいと。これを知り、私は
推している歌手を殺したいほど愛している 自分にはない才能を持つ人を殺したいほど愛してる 自分にはあるが発揮されない才能を発揮してる人を殺したいほど愛してる 俺は才ある人を、自分を殺したいほど愛してる
ふと、自分が傲慢だったことに気づいた。自分なら、世界を変えれると思ってた、自分なら、他人に認められると思っていた。だが、そうじゃない。自分が出来ることには限られている。俺は凡夫だった。これは一見悲しみに聞こえる。少なくとも私は聞こえていた。だが、違う。お前は頑張らなくていい、それをする必要がないという免罪符なのだ。では、なぜ人々は、過去の俺は認められなかったのだろう。それは社会が、できないことを否定し、弱者の存在を認めなかったからだ。確かに、強者は素晴らしい。だが、弱者を否定