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「生の実感」と「人間好き」への変化

※写真=バイトから帰宅して服を脱いだらミミズ腫れができていた…というくらい、いつの間にか負った傷。でも、こんなことにも「実感」が芽生える

 寝るのにも体力が要る。幼少から睡眠時間は多くはなかった(部活をしていた高校時代はアホみたいに寝た)が、45歳を過ぎてはっきりと眠れなくなったことを自覚し、体力の衰えを感じ始めた。

 不安があってとか不眠症というわけではないのだが、夜遅くまで起きていて、深夜から早朝にかけて何度も起きる。老人のようにその都度トイレに行く…というわけではなく、またうつらうつらしては起きるの繰り返し。30分~1時間置きに起きるといった具合だ。

 けれども日中は、柿の種一粒、口に入れた程度でパタリと落ちることなどしょっちゅうだ。これは気絶に近い感覚で、自分では当然まるで自覚がなく、ハッと目覚めて時計を見たら、15分しか経ってない…とかいう感じ。それでも、ようやくそこでスッキリと目覚めることができるのだから、きっと私はこの「気絶」のおかげで生き続けることができているのだろう。会社務めなど、とてもできない体ではあるのだが。

 しかし、家の大掃除から、新たな仕事(スーパーマン)を始めた今週は、とうとう熟睡することができるようになった。睡眠時間は3~4時間で、世間的には短いのかもしれないが、だいたい「起きたい」と思ってアラームをかけた時間近くまでノンストップで辿り着く。そして、目覚めた後はすこぶる調子が良い。全身がやんわりと筋肉痛に包まれてはいるのだが、体全体にキレが戻っているのが手に取るようにわかる。頭もキレてくれればよいのだが、残念ながらそれは「?」だ。

 つまるところ、「運動不足」だったのだ。掃除や、ほぼ肉体労働に近い仕事をこなすことによって、はっきりとそれが証明されたのだ。
 で、もうひとつ重要なのは、この1週間、スマホ、特にSNSをいじっていないということだ。

 外で大きく吸い込む空気が美味い。ご飯も美味しい。仕事を終えた後に口にする水が美味い。なんだか、何年ぶりかにシャバに出てきたような状態なのである。

 そして、自分が「ほんの少しでも、社会に役立っているかもしれない」と思うこの気持ちが何よりも大きい。こんな年の新人は、当然やらかしまくっているのだが、そんなときに周りの方から叱られたりするのもまた、とても快感なのである。

 いやもちろん、叱られたら「すみません!」とか「はい、わかりました!」なんて元気よく返事してる。申し訳なさそうな顔はしている。心の中でも「迷惑かけないようになりたいなぁ」なんて反省も当然してる。
 だが、それらはあくまでも脳内の活動で、心臓はあくまでも悦んでいるようなのだ。きっと、「生を実感している」からだろう。

 自分を指導してくれている人は、ちょっと年上の男性2人。いずれも街で出会ったら、「普通のおっちゃん」か「老人」にしか見えない。けれど、仕事の効率や、てきぱきとした動きなどは、「スーパーマン中のスーパーマン」。見とれてしまうような立ち振る舞いなのである。

 そんな彼らが、終業後「お疲れさま~」なんつって、チャリンコで後ろから抜き去っていく姿は、どっからどう見ても普通の老人にしか見えない。しかし、そこがまたカッコいい。

 街やあちこちですれ違う、無数の見知らぬ人々。失礼な人ももちろんたくさんいるけれど、前のようにイラっとするようなことはすっかりなくなった。それどころか男性女性問わず、「みんなきっと何かしらのスーパーマンなんだろうな」なんて思えるようになって、ちょっぴり人間が好きになってきた51の秋──

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