備中高松城。秀吉は始め黒田孝高と蜂須賀正勝の二人を使いさせ内応工作させている。「味方すれば備中一国を与える」という内容だった。
天正18年(1590)7月16日は秀吉の小田原攻めにおいて成田長親らが籠る忍城が開城した日。川や湿地を利用した堅固な城であったため石田三成らは水攻めを試みるも堤防破壊などで失敗。上杉や前田ら援軍が加わるが落城せず。7月5日に本城である北条氏の小田原城が開城したためこの日開城した。