一宮高校地歴研究会ブログ
会誌の桃陵、研究紀要の槍史、その他同人誌、論集など地歴研究会の発行物の宣伝投稿をまとめます
巡検の紀行文です
地歴研究会について紹介をしている投稿をまとめます。
各会員が地歴研究会活動というよりほぼ趣味でつぶやきます。あくまで活動です。
新一年の地理、歴史が好きな方は是非地歴研究会へ
地歴研究会の会誌「桃陵第5號」を発行しました! 桃陵は年2.3回発行で、年度末號のみ製本会社に依頼して作成します 今回も昨年度末に引き続き50部発行しました。 今号は無人頒布は行わず、主に文化祭にて頒布する予定です ただお詫び致すことがあります 写真を見ての通り表紙が2020年となっております。なぜか今年を2020年と思い込んだ私前会長と何度も写真を送ったのに誰一人指摘しなかった会員の失態です 外部寄稿をして頂いた方々、論考作成にご協力頂いた方々、そしてこの本を手に取
最初に 2021年3月29日ホームページを更新しました。これは次期3年の私R2年度会長が運営しているため、今後はnoteをメインとし、あまり更新しません。ご了承下さい。 →ホームページ 加納城、それは岐阜県岐阜市の岐阜駅のすぐ南にある近世城郭で、今も公園として石垣が多く残る (写真は一昨年のもの、筆者撮影) なお本稿は3月2日に実施した加納行のレポートの代わりとさせて頂きます。 加納城の何が魅力なのか。確かに本丸付近は石垣が残り圧巻だが、それ
本会は槍高地歴学報という新聞を発行しています。 今号は今年度の総まとめとして特別号という形で発行しました。 今後とも宜しくお願いします
一宮高校地歴研究会ではホームページを作成しています。 ホームページは定期的なメンテナンスが難しいため、基本的に詳しくはこのnoteでの活動発表となります。 ただホームページにしか無い情報、過去の情報はそちらがアクセスしやすいので是非ご覧ください https://yarikochireki.studio.site/
小雨がちらつく中ではありましたが、予てより計画していた岡崎巡検を実施しました。 まずは東岡崎駅の南に位置する「六所神社」へ ・第37代斉明天皇の勅願により、奥州塩竈六所大明神を勧請(分霊を他の地へ移すこと)され、神領を寄進された上、創立。 ・第50代桓武天皇の命を受け、東夷征伐に向かった坂上田村麻呂が祈願し、勅許の上、再建され「六所大明神」の勅額を下賜された。 ・徳川家康誕生の際には産土神(うぶすながみ)とされ、3代将軍家光にも厚く遇された。 (社記
本会では尾張北部地域の史跡を統合したマップを作成しています。 従来のマップは古墳なら古墳だけ、城なら城だけかど詳しくなればなる程視野が狭くなっていました。 そこでその全てを統合して初めて新しいものが見えてくるのではないかと思い作成しました。 さぁ新しい地図を描け マップのリンク↓ https://www.google.com/maps/d/u/2/edit?mid=1q-eZIQqDWbN2xX40drHIeUhBiYmESnDH&usp=sharing
2021年3月某日 羽島巡検から約一月後。その日は稲沢に行く予定でしたが急遽予定変更し羽島へ 一宮から自転車で約11km。またふざけた距離だが尾西までは行ったことがあったので慣れっこ ダラダラと自転車を漕ぎながら木曽川へ この橋(写真に橋は写っていない)を渡るのは二度目だが、恐ろしく長く感じる。実際長いのだが。 そんなこんなで気付けば竹ヶ鼻城水攻め(個人的に第一次竹ヶ鼻城の戦いと呼んでいる)の堤跡の道へ。一回も地図は開かなかったが何となくでそのまま竹鼻駅へ 今日回
本日3月19日、終業式終わりに何となく学校から自転車で清洲へ。片道約12キロ、慣れたものだけど。 まずすぐ近くの千間堀川へ 一見ただの川なのだが、実は戦国時代に一宮市の浅野城にいた杉浦五左衛門重勝が作った用水。なお重勝は浅野城に入る前は杉浦城という場所にいたとされるが、詳細が一切不明のため浅野城の別名という説もあるが、僕は屋敷程度のものであったとしても重勝が拠点にしていた何かしらが存在したのは確かだと考えている。 以下に尾張志にある重勝が千間堀を作った際の様子を引用する
本会は愛知県立一宮高校にて同好会として活動しています。 主な活動は巡検や部誌の発行です。 詳しくは下記のホームページをご覧ください 地歴研究会ホームページ 各種SNSも更新中! 会員はいつでも募集中! お気軽にお声がけください