「人間は何かを破壊して生きているといってもいい生物だ。その中でおまえの能力はこの世のどんなことよりもやさしい。 だが…生命が終わったものはもう戻らない。 どんなスタンドだろうと戻せない…」 ――空条承太郎、『ジョジョの奇妙な冒険』 https://note.com/tomoari_miki/n/nc1d7fa458343
人間は一人で生きて 一人で死んでいく。 で、どうする。 ――ビートたけし 万人が決して避け得ず、誰の下にも必ず平等に訪れるもの、それが生命の終焉である。 人生の価値は優勝劣敗や長短や貧富にはない。死んだら何も残らないからこそ、人は生きる意味を探し、その証を遺そうとするのだ。
「生存者の罪(survivor's guilt)」とは、事故や災害の生存者、または事故・病気・自死で亡くなった者の遺族が抱く内罰的な感情のこと。 死者の気持ちを忖度して後悔や自責の念に苛まれ、己を粗末にしたり後を追ったりする場合も。 https://note.mu/funaschon/n/n252bc688f045
「人を呪わば穴二つ」。 誰かに怒りや嫉妬や憎悪といったルサンチマン(怨念)をぶつけて死なせたら、その呪力は恨みの期間と強さに比例して増大し、そのまま本人に跳ね返る。つまり間接的に自分を呪うのと同義なのだ。 故に相手と自分、2つの墓穴を用意する『覚悟』が要る――という戒めである。
“memento mori(死を想え)”。 誰かの命を儚み、悼むことは、人として素直な振る舞いだ。でも彼らの死という現実を受け止められず、かえって自分自身を傷つけてしまうことは、おそらく死者たちの本意ではない。 だから我々は、彼らの分も夢を背負い、明日を生き、世界を見よう。😉
他人や自分の「命を絶つ」ことが好ましくないのは、それ自体が遺族や目撃者に対する「呪い」に他ならないからだ。 たとえ当人にそれ以外の“逃げ道”がなかったとしても、周囲の当事者には生涯消えない“心の傷”=「生存者の罪」が刻まれてしまう。 https://note.mu/3rings/n/n057bb9363db4