死生を考え、想うためのマガジンを始めました
〇はじめに
というタイトルでマガジンを始めました。内容はそのまんまです。実は占部まりさん(一般社団法人 日本メメント・モリ協会 代表理事)が『死を想う』というマガジンを既に始められていました。わたしの方はあまり考えずにタイトルを付けてしまい…。もし占部さんよりなにがしかのコメントがあれば、また変更させていただくつもりです
ところで、占部さんが代表理事を務められる団体名でも用いられているメメント・モリという言葉。この言葉は「死を想え」という意味を持っています
数年前だったら一部の、知っているひとだけが知っているコトバでした。ですが最近になって、死生を語る場面でいろいろと用いられるようになってきています。知っていて損の無いコトバになりつつあるのかもしれません
ちなみにこの言葉、「死を想う」ではなく、「死を想え」なのです。想いなさいっ、という割と強めの表現です。背景にあるのは、どうせ人は死ぬのだからもっと積極的に死について感じ、考えなさい。それは即ち、いまある生について考えることだっ!!と言っているのだとわたしは勝手に理解しています
死が誰にとっても避けられないものである以上、忌み嫌ったり。敢えて観て観ぬフリをするのでもなく。ちゃんと正面から見据えなさい、ということ
ただ「死を想え」だと日本語ではちょっとキツイ表現になってしまうので。メメント・モリという言葉の方が、使い易いかなと思ったりもします
わたしのマガジンも、結局のところ目指すところは同じような処なのですが、メメント・モリをタイトルに用いることは意識的に外したようです。日本語でその辺りを、表現したかったからかもしれません
相変わらずそんな前置きばかりですが、上記のような意味合いを込めて、マガジンを始めました。死生に向き合いたい。自分の死、身近なヒトの死、誰かの死を意識し、考えたい時に、なにかしら思索の材料が出来たら良いなと思っています。わたしの書いたものだけでなく、他の方の note も随時追加していきます
〇まずマガジンに追加した note について
今回マガジンを始めるに当たり、真っ先に追加した note があります
おもりもんこと守本陽一さんの「母の死から僕を救ってくれたのは…」
もりもんさんは何度かすれ違っているのですが、まだ一度もきちんとお話の出来ていない方です。ただもりもんさんのこの note は、わたしが死別・離別のサポートの未来を考え、語る上で、とても大きな示唆を与えて下さったものでした
コミュニティを通じて大切な人たちを支え、そしてそのひとたちに支えてもらう。イエやムラ、家族そのものが分解しつつあるいまの社会で、誰がどうやって自分や他人の死を看取り、そして弔ってくれるのか。その課題の解に対してヒントとなった note です
もりもんさんとはぜひ一度、この note についてゆっくりお話が出来ればと思っています
これまで大切な人の死の前後に自分に何が起こり。それにどう向き合うか。またそこから生じる想いに翻弄されるかといったお話は、なかなか伺い知ることの出来ないものでした。わたしたちのように、死別・離別のサポートに関わる人間か。よほど自分の想いを理解し、受け入れられる場面でしか語られない物語であったと思います。ですが SNS を通じ、誤解や偏見を怖れずにこうした想いを書き綴って下さる方々が現れ、当事者の語りとして直接触れられるようになってきました。これは本当にすごい変化なんです
ただそうした想いを綴る方はまだまだ少なく。一方で多くの方が自分には関係ないことと思い、敢えて触れないか。興味本位で触れてしまうのがまだまだ現実です。そうした中では、こうした想いを語ることは非常に勇気のある行為であり。時には変わり者、おかしな人たちという偏見に晒されることすらあるものです
そうした中で敢えて想いを語るお二人の姿を、わたしはきちんと伝えたいと想い、敢えてマガジンに追加をさせていただきました
〇最後に
ちょっと長くなってしまいましたが、このマガジンは単にわたしが過去書いた文章を載せていくだけでなく。死生に触れ、想い、戸惑い、悩み、ときに苦しみ、ある時は安堵や喜びすら感じ。そしてその先をある物語を見出した方々の声や想いも、紹介していければと思っています
そしてそうした蓄積が、いつか自分が死生に触れる場面に出逢った時に、自分は決して独りじゃないんだ。他にも同じように迷い、悩み、苦しんだ方々いたんだ。自分だけが特別だったり、おかしいわけじゃないんだと、感じて貰えるようなものになっていたら、とても嬉しいです
(2019年1月4日)
デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています