いろんな先輩弟子から「あなたは学理を勉強しすぎだから、もう勉強しなさんな・・」と言われる。。確かにごもっともですが、いやいや、たった七年学んだけの若造(しかも不肖)がどれくらい世間のこと、人のことを知っているのよ。それに、元々勉強量は全然足りていない。本もたくさん読まなきゃ・・・
「学問を知っている」だけでは、資格があるだけでは誰も救えない。人間性、暖かさ、使う意図が加わって初めて「叡智からの言葉」に命が吹き込まれる。最初は張りぼてでも、形だけの「使用」でもいい。でも経験を積むうちに、それが自分の内面とリンクして自分の血肉から出る言葉に変換されるかどうか。
宿命鑑定の技術は「性格のあてはめゲーム」に使うこともできなくはないけど、結局は「その技術を使いどう目の前の方の人生向上に役立つか」が大切だと考えている。その意味では、算命学だけではなく、ときにカウンセリング、コーチングなど、必要に応じたスキルを知っておく必要がある。
「占いできるから、占い知ってるからおれすごいんだぜ~!」的なこころもち、慢心が実は一番危険。一番がクライアント様の心を癒し、背中を押してあげるがゴールだとすれば、ときにただ話をきいてさしあげるだけとか、あえて言わない、ということも大事かもしれない。ケースバイケースですが。
あくまで仲間からきいた話として。ある算命学の宿命無料算出サイト、確かに内容が充実しているものもあるが『明らかに間違った解説を載せている時もある』とのこと。私は使ったことがないのでわかりませんが、無料のものは特に注意かもしれません(かといって有料だから正しいとも限りませんが)
それは『失敗』ではない。単なる現在での『結果』でしかない。だから大丈夫。前に進む限りチャンスはある、いや、チャンスでしかない。
お師匠様の一言より 今の苦悩は将来笑える 人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。辛い体験も、時が過ぎれば笑い話にもなり得る。目先の刺激に翻弄されることなく、淡々と善き原因=善因縁を作り出していくことがポイントとなる。ブレないことだ。
昨日たまたま、4年前に宿命鑑定をさせていただいた知り合いの方から、『あの時の鑑定ですごく励ましてもらい勇気が出ました』と嬉しい言葉をいただきました。 それがこの流派の教えでもあるからなあ。
師の一言より 幸せと不幸はワンセットである。必ず不幸から訪れて後に幸福が訪れる。だから、不幸から逃げ出してしまうと後に用意されている幸せも味わえない。 不幸の現象が激しければ激しいほど、幸福も大きくなっていく。大きな不幸が起きるのは、大いなる存在から愛されているということだ。