原発訴訟におけるいまの原告側(住民側)の証人の専門性では、被告側(国ない事業者)の証人の専門性に著しく劣るため、最高裁での勝訴は、ありえず、原告側の原発技術にかかわる証人には、事業分野違いや専門違いの人が多く、被告側の証人のように、伝統科学の手法と実績がなく、大人と子供の世界。
私は、日本の原発訴訟の争点と原告・被告側の証人の専門・実績を吟味したことがあり(拙著『原発裁判』、潮出版(2011))、確実に言えることは、原告側の工学的安全性にかかわる証人の実力不足であり、原告側と被告側の主張が、うまくかみ合っていないと言う欠陥が存在することです。
原発訴訟は、原告の主張に、工学的専門性がなく、あるいは、低く、党派性のみ強く浮き出ているため、もう少し何とかならないものかと苛立っており、ウソの世界で自己主張するのは、見苦しく、人間として恥ずべきことですから、まともな専門家を原告証人に選任するなどの工夫が必要なように思えます。
日本の原発訴訟は、地裁と高裁で数件、原告住民側の勝訴があったが、最高裁では、原告住民の完全敗北であり、原発訴訟の壁は、厚い。日本の数十件の原発訴訟の資料分析から、原告住民側の証人には、本物の原子力安全の専門家がかかわっていないことであり、主張がピンボケしていることです。
私には、福島事故直後、しゃべり下ろし著書『原発裁判』(潮出版、2011)があります。私が、六時間しゃべり、編集者が、整理し、まとめた作品です。元のタイトルは「原発訴訟」でしたが、編集者の判断により(それができるのは編集者の特権)、「原発裁判」となりました。
Trovatoreさんから、「・・・、河合弁護士は「仕事の7割は原発訴訟でこちらは全く儲けにならず残り3割で稼いでいる」・・・と、これは本当なのか」なるコメントあり。河合さんと海渡さんには、会ったことがありますが、信念で、好きで、やっており、そのとおりですが、最高裁の壁は厚い。