月刊 政経東北
月刊『政経東北』|多様化時代の福島を読み解く|地元メディアが報じない出来事を追跡|旬の人、政治家、業界人をインタビュー|株式会社東邦出版(福島県福島市)が発行|1972(昭和47)年7月1日に第一号を発行|
春橋哲史 1976年7月、東京都出身。2005年と10年にSF小説を出版(文芸社)。12年から金曜官邸前行動に参加。13年以降は原子力規制委員会や経産省の会議、原発関連の訴訟等を傍聴。福島第一原発を含む「核施設のリスク」を一市民として追い続けている。 月刊『政経東北』|株式会社東邦出版(福島県福島市)が発行|東北圏と中央を結ぶユニークな政治経済情報誌|1972(昭和47)年7月1日に第一号を発行|
おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。 月刊『政経東北』|株式会社東邦出版(福島県福島市)が発行|東北圏と中央を結ぶユニークな政治経済情報誌|1972(昭和47)年7月1日に第一号を発行|
この稿を書いているのは衆院選の最中で、読者の目に触れるころには結果が出ているが、執筆時点では分かっていない。ただ、自民党の派閥裏金問題に伴う逆風で、公示前の256議席から減らすのは確実視され、それをどこまで食い止められるかの戦いになっているというのが大方の見方。 本誌では、今衆院選の全候補者に動画インタビューを行い、ホームページ、SNSにアップした。こうした企画は昨年11月の県議選、今年9月のいわき市議選に続いて3回目。本誌で連載している畠山理仁さんが推奨する「選挙漫遊
フクイチ(東京電力・福島第一原子力発電所)核災害で、核技術のリスクの大きさが明瞭になって13年以上が経過しました。この国が、核技術を発電に用いる政策を未だに続けているのは嘆かわしい事です。 とは言え、原子力発電の利活用の体制は、フクイチ核災害前と同じではありません。「縦割り行政の弊害」「一つの組織が推進と規制を担うことの問題」等を解消する新たな原子力規制行政機関として、2012年9月19日に原子力規制委員会(以下「規制委」)が発足しています。原子力規制委員会設置法(注1
9月10日、東京電力福島第一原発で事故により溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の「試験的な取り出しが始まった」と報じられた。 同日の記者会見で林芳正官房長官は「今回の着手で工程表の第3期に移行した」と強調している。政府と東電の「廃炉に向けた」ロードマップでは、作業の期間を3段階に分けており、燃料デブリ取り出しの開始からロードマップ終了までを最後の「第3期」と位置づける。この「試験的取り出しの着手」によって、第3期に「進んだ(移行した)」というのが政府の評価だ。 しかしこ
暑さも和らぎ、季節はもう秋ですね。「スポーツの秋」と言われるように、秋は運動を始めるには気候的にちょうど良いかもしれません。今回のテーマは、運動する上で重要な役割を果たしている「ふくらはぎ」についてご紹介していきます。 【第二の心臓と言われるふくらはぎ】 皆さん、ふくらはぎが第二の心臓と呼ばれていることをご存知でしょうか? 心臓は強力なポンプの役割を果たし、血液を人体の隅々に運んでいます。その量は、何と1分間で約5㍑とも言われています。 一方で、物を上に押し上げ
9月19日に不信任決議案が全会一致で可決された斎藤元彦・兵庫県知事問題が日本維新の会を直撃、迫り来る解散・総選挙を前に危機的状況に陥っている。昨年春の統一地方選後に立憲民主党を抜いた支持率は5%前後で野党第2位に転落。地盤とする関西圏(京都府、大阪府、兵庫県、奈良県)でも「6月の22%から7月に13%に急落し、9月は12%だった」(9月20日付の日本経済新聞)と激減したのだ。 選挙でも連敗が続いている。7月の大阪府河内長野市の府議補選で敗北、8月の大阪府箕面市長選でも維
郡山市の東部から三春、田村市、小野にかけての旧田村郡は、かつて〝田村庄〟と呼ばれていた。田村庄の所有者は紀州の熊野神社(和歌山県)で、熊野神社は守山城(郡山市田村町)の武士・田村氏を庄司(管理人)に任命して土地を治めていた。 室町時代の応永元年(1394)冬、田村庄司であった田村則義は、関東を統轄した鎌倉公方・足利氏満と対立。鎌倉派だった白河の結城満朝を攻撃し〝田村庄司の乱〟になる。兵力に劣りながらも当初は善戦した田村勢だったが、鎌倉公方が大軍を率いて奥州に出陣してくる
福島県を含む4県広域強盗に関与したとして強盗容疑などで逮捕されていた男が8月3日、栃木県の宇都宮中央署の留置場から逃走を図り、加重逃走未遂の疑いで逮捕された。 男はベトナム国籍で群馬県藤岡市の無職、ホアン・フー・ホア容疑者(25・逮捕当時)。同日午後6時半から7時24分ごろ、留置されていた部屋の天井一部を損壊し、天井裏から逃走しようとしたという。巡回中の警察官が天井の穴から逃げようとしていた容疑者を発見した。 強盗事件は今年4月から5月にかけて栃木、群馬、長野、福島
人生のための「家」が、「家」のための人生になって、それで幸せなのかな。 W氏、63歳。元・会社員。2歳下の妻と、この6月に離婚。 家を出て一人住まいになって、3カ月余り経ったというのに、まだ、前の家の、白い色がチラチラします。妻の長年の憧れで造った家で、外壁の白は別として、内側も、何もかも白なんです。壁、窓枠、レースのカーテン、テーブル、戸棚、クローゼットに台所、ポットや小物―極め付きは床まで。朝出て夜帰る、という暮らしなら何とか耐えても、定年退職して日がな一日、家に居
インド・ラダック地方 「天空の湖」を求めて(撮影・文 柗井綾乃) 「1枚の写真を見つめていると、その時の周りの状況も、脳裏に浮かんでくるものです」。祖父がくれた言葉です。祖父は北海道小樽市で写真店を営んでいました。その影響か、私もカメラが相棒に。撮影のため世界中を旅するようになったのです。 旅路の中で感動した景色のひとつが、インドのラダック地方にある湖・パンゴンツォです。標高5300㍍の峠を越えて辿り着く湖。酸素が薄く息をするのも苦しかったのですが、覚えているのはその
パリ・オリンピックを振り返ると、「富岡町のチカラ」が日本を元気にしたことを実感する。今回、バドミントン競技では男女合わせて12人の日本代表選手のうち、5人が富岡一中、富岡高校卒業生だった。なかでも混合ダブルスでは、「わたがしペア」こと渡辺勇大、東野有紗のペアの戦いぶりは手に汗握るもので、準決勝では中国ペアに屈したが、3位決定戦では韓国ペアをストレートで下し、2大会連続で銅メダルを獲得した。 わたがしペアはオリンピック直後のジャパンオープンを最後にペアを解消、渡辺は今後も
野党第一党である立憲民主党の代表選挙が9月23日に終わった。野田佳彦氏、枝野幸男氏、泉健太氏、吉田はるみ氏の4人で展開された選挙戦は、決選投票で野田氏が新代表に選出される結果となった。 今回の代表選は3年前とは違い、自由民主党総裁選挙とほぼ同時期に行われた。そのことが功を奏して報道量も増え、世間の注目が集まった。野党の国会勢力は与党に遠く及ばないが、ようやく選挙ムードが高まってきたと言えるだろう。 立憲民主党の新代表に就任した野田氏は今回の代表選を「政権交代前夜」と
2011年3月11日のフクイチ(東京電力・福島第一原子力発電所)核災害の発生から約13年半が経過しました。 発災年に生誕したお子さんが中学生になる期間が経過しても、フクイチ核災害の全容解明は未だ途上です。 1~3号機の溶融燃料(デブリ)の総重量・約880㌧という数字も解析値で(注1)、実測ではありません。 フクイチ事故に関する調査は、政府・国会・民間・東電の4者が報告書を提出していますが(注2)、政府・民間の調査は終了しており、報告書を受領した国会は、調査を再開
福島第一原発事故で原子炉内外に広がった溶融燃料(いわゆる「燃料デブリ」)。これは「放射性廃棄物」なのか? 「東電が廃棄しないなら放射性廃棄物ではない」というのが政府の見解であることが分かった。 前号で紹介したとおり、「原子炉から燃料デブリが取り出せない等の理由により事業者が燃料デブリを処分する計画を示さない場合、『処分』する計画のない原子炉内に残った燃料デブリは法的に『放射性廃棄物ではない』、という理解になるか」という質問主意書に対して「福島第一原発の燃料デブリは、東京
まだまだ暑い日が続いていますね。少し外を歩いただけで汗びっしょりになってしまいます。汗をかくと、水分と同時に、「塩分」をはじめとした身体に必要な栄養分も失われてしまいます。今回は塩分に焦点を当てて、お話ししていきたいと思います。 【塩分の役割】 われわれが塩分を最も意識するのは食事のときだと思います。味気ない食事よりも、少し塩気のあるもののほうがおいしく感じたりしますよね。ただ、塩分がもたらす身体の効果は、味覚への刺激だけではありません。塩分は、体内の水分バランスを
岸田首相が総裁選への不出馬を表明した8月14日以降、自民党総裁選が一気に本格化したが、19日にいち早く出馬表明をしたのは小林鷹之・前経済安保担当大臣(49)。若手議員を中心とする国会議員(安倍派は11人)も会見場に駆けつけ、すでに推薦人20人を確保していることをアピール。そして「自民党は、生まれ変わる。」と記した垂れ幕をバックに小林氏は、「すべての党員、国民に新たな自民党に生まれ変わることを約束する」と切り出した。 「刷新感」「若さ」を前面に押し出すイメージ戦略だが、決
郡山市の東部から三春、田村市、小野にかけての旧田村郡は、かつて〝田村庄〟と呼ばれていた。田村庄の所有者は紀州の熊野神社(和歌山県)で、熊野神社は守山城(郡山市田村町)の武士・田村氏を庄司(管理人)に任命して土地を治めていた。 南北朝の争乱(1336~1392)では熊野神社が南朝と縁が深かったことから、守山の田村庄司は一貫して南朝を支持。争乱が北朝の勝利に終わり足利氏の天下となっても、田村庄司は依然として足利氏に心服しかねていた。そのため足利氏が関東地方に設置した自治組織