Xで知り合った友人が情緒不安定になっていたらしく、2ヶ月以上Xやインスタが更新されてなかった その人とは色々やり取りし思い出あるが、私が度々ネガティブになり、自己嫌悪と罪悪感からこちらから4か月以上前に縁を切った 私は何か力になれていた事はないかと後悔もあるし友達付き合いは難しい
親戚からのLINEの、地元ネタに関する返信をずっと放置してる 時折、綺麗な画像が来た その地元は嫌な人ばかりだったから躊躇う だが、人間関係を円滑にするには本音を封印し「綺麗な画像ありがとう、私も行けるといいなˊᵕˋ」と気遣いが大事 だけど、私は気持ちに素直でありたいから悩ましい
今まで、人との関わりを自分から経つ決断を実行してきたが、果たしてそれがよかった事なのか分からなくなる 基本的に相手のためを思ってが多いが、それは本当に正しいことなのだろうか? 自分が相手の負担になるんじゃないか、足を引っ張るんじゃないか、と身を引いてきた。自信のなさも大きいと思う
長い間、友人が居ない人だと、いざ、友人が出来ると柔軟な対応が難しい。人の悩みに対してどんな気持ちを持てば良いのか分からない。自分が相手に余計に思い入れ過ぎ、お節介なのか?と思う時もあるし、自分はドライなのかと思う時もある。適切な考えや解決策も提示出来ない 経験値のハンデが大きい。
リアルで会ってる人だと話す機会がある、共通の話題があるけど、 ネット 知り合った人だと、 相手の状況把握出来てないと、積極的なコミニケーションが必要になる。 だけど私は、回避性や緘黙、鬱のような症状が発動してしまい自発的にコミニケーションを取ろうとするのが難しい。
生理前からその期間中は、毎月情緒不安定になり、私は人付き合いを切った方がいいのか考える 毎月、長々ネガティブな感情をぶつけて余計な心配も与えてしまう 長い付き合いで、相談しあったり今後の計画を立てあったりした 罪悪感もあり苦しい決断だが、人の為を思うのなら致し方ないのかも知れない
最近、鬱状態が強くて友人から身を引いた方が良いのか悩む 友人は付き合い長く良い人で思い出色々ある 私は気分安定する時もあるが、またすぐ鬱状態になってしまう恐れが… ネガティブな気持ちを相手に与え、不快感や不安、心配を与えてしまう恐れがある 今は、鬱からの脱却が困難だから悩ましい
リアルにしてもネットにしても、人との付き合い、交流は心理戦で難しい。 日本のように好きじゃない相手やその他色々変に気を遣う国では、特にASDなんかは読み取りが難しく感じてしまい、モヤモヤし騙されたりもし理解に苦しんだりもしてしまう。ASDの失言やその他短所を注意する人も、少ない。
リアルでも、ネットでもまともに交流出来ないとなると、自分は救いようのなく人間的に欠けてるのかと絶望し悲しくなる。 だから、せめてnoteで繋がりのある人達は仲間と思い大切にしたいと思ってる。 反応してくれた人は、友達だと思ってる。
昔から、「今まで、あんなにやり取りしてきたのに」「仲良くやっていたのに」「会話が弾んで楽しかったのに」と思う事が多かった。やり取りしていく内に、段々お互い違和感が生まれ距離が出来てしまったのが原因だと、思う 寂しいが人それぞれ相性はあるし、特にネットで知り合う仲だと限界あるのかな
交流において、ダラダラ付き合うのは相手に対して失礼にあたるだろう。 何も話すことが思いつかなくなったり、何処かしら距離や違和感を感じるようになったら、スパッと切ることも優しさだと思う。 決断するのは勇気がいるが、依存や惰性で繋がるのは何か違うような気がする。
交流において、他者に依存するのは良くないことだと思う 本当にその人が心の底から信頼し合え何でも話せる友達だと思ってないのなら、スパッと繋がりを断ち切ることが、真の優しさだと思う 惰性で表面上の付き合いは、相手のためにも自分のためにも良くない 自立や成長の為にも考えるべきだ
「そちらから掛けてきていいよ」と言われても、何話せばいいのかネタが思いつかなくかけようがない場合がある SNSから遠ざかって、互いの状態が分からない状況だとそうなる リアルで接点がないと、尚更だ 話すようなことがないから、通話のしようがない状態 友達はそうやって疎遠になるのだろう
本当の友達とは、何でも打ち解け合い、心の底から信頼出来る間柄を言うのだろう。今まで私と関わった人とは、そういうのが全くなかった 互いに違和感が生じ、次第に疎遠になっていった。私は怖くなり人との交流を拒絶するようになった 寂しい気持ちを無にし悟りの道を開けたら、どんなに楽だろうか?
昔から、一人でいることが多いものだから、人付き合いが難しく感じてきた。 そもそも意思疎通が、他者の気持ちを想像するのが難しい。 これからも、本当に心を許し合う、信頼出来る友達は出来ないのだろうと、達観した気持ちがある 人生一度で良いから本当の友達が欲しかったという複雑な心境もある
未だに、人との距離を縮めるという感覚が奇妙で怖くなる。 人生の長きに渡って、特定の人一人と以外に開示して来なかったから、距離を縮めてくる人に対して、新鮮なような不思議な気持ちがある。 また、誰にも心を開くまい、心を許してさならいというプライドの保持という頑固さで押さえつけている。
昔からだが、いざ誰か仲良くなってくると、何処かしらに違和感を覚えてしまう事が少なくない 相手もこちらに同様のことを感じているような気がし、徐々に距離ができ始める。私は、段々疲れてしまい、1人だった頃に戻りたくなる 気疲れしなく、信頼出来何でも打ち解け合う人と出逢うのは奇跡だ
ネットで知り合った人と深く仲良くしていくのは、難しいと思う時がある 受身ばかりはいけないと分かっても適正なネタが分からない。内容次第で、不快になる事もあるだろう 特にリアル忙しいと其方優先するし浮上率低くなるから、互いの日常が分からなくなり疎遠になる 信頼して良いのか判断も難しい
私は、人間不信になりやすい。基本的にどの人間も信じてはない。 人との交流も、それゆえに疲れてしまい、一人だった頃が懐かしくなり一人になりたくもなる。 一人だと寂しいが、メンタル不安定になりづらい。交流すると、楽しくもあるが気疲れしメンタル不安定になりやすい 提供出来るネタもない
自分から縁を切るのを切り出すのは、凄く勇気がいるし寂しくもある だが、違和感・距離感できた状態で惰性で繋がるのは何か違うと思うし、何も知らない相手だと何の話をしていけばいいのか分からない。 今思えば、信頼関係出来てなかったし、本当に信頼していたら、心許し何でも話せていた筈だろう。
INFPでASDだから、子供の頃はコミニケーションに苦労してきた 自分の興味関心を周りに話すと、天然と言われたり変な顔をされてきた 自分の独特なメルヘンな世界感、ファンタジーな世界感、感性が普通に通用するものだと思っていた 気づいてから、自分の脳内は独特で恥ずかしい物だと分かった
もし自分が相手の足枷になるような存在だとしたら、離れてあげるのも優しさなんだと思う それがどんなに寂しい事だろうが辛かろうが、変化し前を向き成長していく相手に対して『頑張ってね』『応援してる』『見守ってるよ』等とエールを送って見送ってあげる事は苦渋の決断だが、相手の為にも大事な事
どんなに親しくしてずっと友達だと思っていても、状況の変化で簡単に切れてしまう 友達とは、一緒に向上心持っていたり苦楽を共にし共感し支え合う 時には、どんなに頑張っても物事が上手くいかなくやる気がなくなり界隈から離れ1人を選ぶ 要は、精神レベルが同じじゃないと交友は上手くいかない
どんなに仲良くても、状況や環境、モチベの変化により、疎遠になってしまう事がある それが怖くても、いざ疎遠になっちゃうと、お互いの事が薄れどうでも良くなる。そういうのが、怖い、ずっと互いに特別な存在だと思っていた筈なのに、他の事に興味関心が向き、互いがどうでも良くなる。 不思議だ。
いちおう裏アカなのでこっちのアカウントから他人の投稿を読みに行くのってほとんど無いんですけど note社がくれた資料によると 1位は高木さんで 2位はミミィちゃんで 3位は田苗ちゃん なんかもぅ内輪で固まってる感が満載 性同一性障害の“同類”と ほぼ交流してないことも分かります
blog散文小径。 夢酔藤山ひたすら継続のブログです。プロバイダーを変えても、お題は一緒。木漏れ日のなか、のんびりと散文に癒されたいブログも、そろそろ20年になるんだろうか。note の影響力には勝てないけど、やめられないのは、リンクが貼れるから。夢酔の交友が……透けて見えます
本当の友達とは、相手り寄り添い励ましたり支えたり成功を喜びあい苦楽を共にする存在 だが、私はいつも負の感情に囚われてきた。無能感、劣等感、自信なさ、申し訳なさだ だから今まで交友を遮断してきた 後から何て自分は自分中心で思いやりないのかと思う事多い 後悔しても、時既に遅しが多い
忙しいだろう友人に気を使い、私から連絡しない事がよくある 正しいかは分からないが、心の整理をしたいのというのが大きい 疎遠とは、大きな変化の象徴らしい。成長し、新たなライフステージ、新たな世界に旅立つという事だ。互いの世界に必要な似た者だけが残る。無理せず流れに身を任せるのが良い