たまに短歌 同窓かい?
「よ、しばらく」親しき会話交わしつつ
しばらくかかる記憶発掘
よ、しばらく したしきかいわ かわしつつ
しばらくかかる きおくはっくつ
先日、中学の同窓会に出席した。実家が中学時代から変わっていないので、そこに郵便で届いた案内に返信することができた。担任の先生を含めて14名が出席した。公立のごく普通の中学で、卒業後も付き合いのある人はひとりもいないので、こういう場から声がかかることが滅多にない。その後の進路でも後々まで続く付き合いがないので、結局は現在進行形の付き合いしかない。世間ではよくそういう状況を避けるべきだと喧伝されているようだが、無理して付き合いをするよりは、自然体で結果的に付き合いの無い方が健全ではないかと思っている。
私が卒業した中学では学年の約半数が地元の県立高校に進学するので、そこから外れた段階で普通に同窓との付き合いは切れる。私が進学した高校は都内の私立男子校で一学年500人ほど。ほぼ全員が首都圏各地から公共交通機関で通学しており、部活でもしない限りはそもそも互いの接点がほとんど無い。大学も同様だ。イギリスの大学院で日本人どうし少数派かつ企業派遣という境遇の共通性があって10人程度の微かなつながりを維持している。
手元の記録によると中学の同窓会へ出席するのは今回が3回目で、前回は2004年だった。今回初めて気付いたのだが、公立の中学には学区というものがあり、そこに住宅公団(現UR)の団地があって、そこに住んでいた同窓生が多い。当然、彼等は中学進学以前、それどころか学齢以前から互いを見知っている。団地でなくとも、同じ小学校から進学した者が圧倒的多数派だ。私は小学校は市内の別の地域で、小学6年生の11月にその中学の学区内に引っ越した。小学校卒業まで少しの期間だったので、バスでそれまでの小学校に通った。中学入学時にそこに自分が知っている者は一人もいない状態だった。そういうことも、中学の同窓との距離感に影響しているかもしれない。
それでも、同窓会はそれなりに楽しかった。同窓会に参加するというのは、ある程度の気持ちの余裕があるということでもある。今回は幹事が熱心だったこともあって、参加しないといけないかなと思って参加したが、次はその時になってみないとわからない。ただ同じ学校に通っていたというだけで、それ以外に何の共通基盤もないのである。それを言い出すと、共通基盤のある相手というものがどれほどいるのか、ということにもなるが、話が通じる相手というのはかなり限られている。さて、残りの人生をどう過ごしたらよいものやら。
見出しの画像は駒込にある東洋文庫の塀際に並べられている至言ボードの中の一枚。出だしのところが葉に隠れているが、ヒンディー語で「人は何かを失ってこそ学ぶものである」という意味なのだそうだ。そりゃそうだよな、と思って写真を撮った。