ロゴセラピー 医師と純文学とユーモアエッセイを操る躁鬱病の大家、北杜夫の芥川賞受賞作『夜と霧の隅で』の元作ヴィクトール•フランクルの『夜と霧』(それでも人生には意味がある)NHKこころの時代6回の①「意味への意思」生きる意味、精神的次元の問いかけ、呼びかけを受け止める意味を聴く。
『夜と霧』で有名なフランクルは4歳で人生とは何か?を考え、17歳にして、早くも彼が通っていた成人学校の哲学の講師をしていたそうです。 選んだトピックは、「人生の意味」 強制収容する前に彼の理論は完成していたけれど、多くの人は誤解していると本書では指摘しています。早熟すぎる!
■片づくマインド・名言シェア318 そもそも我々が人生の意味を問うてはいけません。 我々は人生に問われている立場であり 我々が人生の答えを出さなければならないのです。 ヴィクトール・フランクル 1905年3月26日生 人生に意味はない。でも時間・空間・仲間との戯れに意味を感じる
すべての人は人生に問われている。自分の人生の責任を引き受けることによってしか、その問いかけに答えることはできない。 ――ヴィクトール・フランクル『夜と霧』 https://note.com/noyumi15/n/n857d2ff15a3d
もう一回、読もうかな? 極限の中で、人間に残された最後の尊厳とは?
21世紀は、月単位で世界の常識が変わる時代。過去に看過された行状も蒸し返され非難の的になりかねない。 だからこそ平素の価値観や生き方が問われる。 高校生によるコミケ同人誌の転売報告記事が炎上→cakesから削除 イベント主催側が謝罪 https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2110/11/news140.html
周囲や時局に流されて生きる者が、いざ潮目の変化を嘆いて世界を呪っても後の祭り。でも己が決めたことなら、どんな責任や結末も受け止められる。 自分で決断したことは、たとえ結果がどうなっても、しのげるものだ。|川中紀行/コピーライター https://note.com/noriyukikawanaka/n/n1d1a61ff81f0
すべての人は人生に問われている。自分の人生の責任を引き受けることによってしか、その問いかけに答えることはできない。 ――ヴィクトール・フランクル『夜と霧』 この状況は私たちに何を問うているのか(「夜と霧」)|きのう、なに読んだ? https://note.com/hoshinomaki/n/n900840be6d8c
この世界はただ万物がそこに在るだけだ。動植物は己の存在理由など問わない。 我々ヒトだけが、己の人生を意味あるものにするために生きている。価値は自分で発見し創るものだ。 意味や理由がなければやらないという考えが可能性を狭める|小山隆信 https://note.com/stevekoyama/n/nddcd6949e68f
人は環境で作られるのでない(過酷な環境でも希望を持てる)説 希望を持つきっかけとなる経験を現在または過去の環境によってする必要があるのでは、と。そういった経験がなくともできる(先天的にそうできる性質を持つなど)、という意味だろうか
これからこのnoteでは好きな作家さんの好きな作品のどこがどう良いかをマニアックに書き出し褒めちぎり陶酔し媚びる記事を沢山書いていきたいなと思う。